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フックが外れて小説になるとき

おはようございまs!おしい!おしいです今日は、sっごくオーバーに売ったんですがs以外完璧でしたね、今日はsだけに気をつければ死ぬことはなさそうだ、それは驕り。さて、山下澄人さんが小説の書き方講座を始めてくれた、彼の文章はいつでも読める、しかしサブスクとは違う、圧迫感はない。サブスクは見なきゃいけない、金を払っていて、一応少なくとも金のない(ほんとに貯蓄より借金の方が23万円ー4.5万だから18万5千円くらい多い)僕にとっては舐め尽くさなきゃ満足できない額だ、1800円とか2500円とかね。あれはそう、その月でなくなっちゃうのがでかいんだろうと思う、だってずっとそばに置いて置けないから、その場で覚えるしかない!みたいに思っちゃうんだ、かりそめの豊かさをなんとか食い繋いでいる状態、それは無理に払っていても無意識に、払っていることすら忘れていたとしても、なんか退屈だなと漠然と思う。というか僕はムカつく。サブスクが存在しているといつからかムカつくようになった、それで食ってる人のことなんか正直知ったことではない、僕の好きなTWICEはその限りでなく一貫して還元し続けたいという感覚を植え付けられていて、それが苦しくないから問題視していない、ただし問題視のしようはあると思う、とにかくその、今は見切れないほどいっぱいあるが一定の時間が経過するとなくなっちゃうよ、という仕組みがウザい。それがウザいのか知らないがそれがうざいと仮定して見ている。図書館はうざくない、無料だから。3000円くらいだしたけど全然読まない本もうざくない、ずっと手元にあって読む機会は半永久的に開けている気がするし、誰かにあげて恩を売ることもできる、いや恩を上げる、か。売り買いの話ではない、あれはこっそりと水面下で、わかっているもの同士がルールの合間を縫って独自の言語でやりとりするから楽しいのだ、恩を損得で考え始めた時、それは途端にガラクタになる、面白くないというか、なんかもうどっかいけ!って感じだからガラクタは違うな、ガラクタは置いておきたいから。どちらかといえば読まない本に近いか。とするとなんだ、合致する言葉をゆっくり考えるのは好きではないパッと思い空いたことを言う、思いつかなかった。思いつかなかったは建前で、本当はいくつか浮かんだ、ブリコラージュとかぶりぶりざえもんとかナポリタンとか、でも今は代数Xみたいな役割をその言葉に期待しているわけではない、うまいことを言って喝采を受けるために言葉の探してるんだから、意味は通っている必要がある。もちろんわかりやすいと言う意味でhない、そんなクソカスはどっかいけ、僕の持っているガラクタと秘密の経路を辿って、そのパスコードは後でもらえる、本当いつかもらえるので今はなんで繋がってるのかもわからないが、その時点で意味がわかっている。僕にとっての意味がわかるとはそれだ、口頭で発する言葉で分かったようなやりとりをすることではない、あーそれね、俺もあった、今のうちに遊んどいた方がいいよ、マリッジブルーがどう、あれって本当にあるんですね、マジでどっかいけお前ら!言葉に言ってます。人はね、好きなのでどっかいかないでください。それを言われた時だけ僕がどっかいきますんで、ほんとそもそも僕は何も言わないですが、なんか昂っちゃって言っちゃっても聞かないでください。何も言っていないのと同じ、ただ僕の存在だけその目で確かめていてください、本y買うとかしようとしないでください、今なんて打とうとしたんだ、打ち間違えたことはわかったし、あ、翻訳だ。そうそう噛み砕いて分析しないでください、するならめちゃくちゃ練習してください。偉そうですかね、僕たまに偉そうとか上からとか言われるんです。たまによく、くらいの頻度。で、僕が言葉というか会話してる時に、ある種病的にやっちゃう姿勢があるんですけど、ちょっとけしかけるというか試す、って言葉を使っちゃうんで偉そうと思われるんだと推測してますが、確かに試される、だと自分より強そうなやつからなんか試練みたいなものが提示されてる感じがしますね。でも試すって、自動詞になるとそれだけじゃないっていうかメインの意味は単にトライじゃないですか、それはすんなり入ってくる。ただ単に彼らは今こう言っている、そこにこれ放り投げてみたらどんなことを言うだろう、とかちょっと実験してる気分なんですね。実験って言うとこれまた達観している、俯瞰しているぶってるようで偉そうな気が自分でもしてしまうから危険なんですが、でも今思いつく言葉はそれです。例あるかな、でもさっき山下澄人さんが小説の書き方講座開講した時に、コメントで超ワクワクしながら待ってますと送ったんですがそれは結果的に近いしもしかしたら意図もあったかもしれない。でも今僕が思い出せるのは、緊張感が欲しいと言うことだったからちょっと強めの応援を送ってみよう、よしまだ誰もいないなという流れ。みようとか言ってるしな、意図あるな。純粋な応援なんかないか、というか応援自体がな、自分が望む姿になってくださいってことだからそれは仕方がないか。好きにしてください、あなたらしく、でも一応要求だし、縛られるな、死ぬな、死んでいるのと一緒の生き方をするな、でもそういう強いがんじがらめというか底なし沼から生き物を引っ張り上げようとしたらエグい力必要ですから、それも逆方向の、だから言葉だけ切り取るやつはバカです。それが自分にとっていいものだとしても同等にバカですきっと、すぐには悪影響が出ないだけであって。ただバカが悪いのかというと、いい方向のバカはまあ考える余地があるけど知らないのはやっぱりまずいよというのが落とし所かも。バカじゃなくなるのがどういう存在か、バカじゃなかったら何になるのか、その辺は僕もあまりわからない。でもバカじゃない部分がありそうなのは感じる、死なないために調べる、もちろん自分の体でも調べる、師匠を探す、必死で生きている先人を、そして僕はその様子を必死で記録する、これが役に立たないなら他の全てが間違っていると書いている。高校入試の後期試験とかがそうだった、前期は確かに調子が悪かったから落ちたけども、とりあえずさっさと後期試験やれ、明日やれ、ほんで早く入れろ、俺を入れないならお前ら全員バカだ、という気持ちで問題、特に国語はずっとそうで、模範解答を見てなるほどっと思うことはたまにあったが、別に僕の用意した答えの方が正しいと思った、全部そう思った。俺が思ってんだから本当なんだよ、なんだそれつまんねえ答え、黙ってろお前みたいなもんは、若人から何も奪うな、とか最後のは全然思ってなかったし今も音がいいから書いただけだが、切れるというかただ当然のものとしてそう規定していた。あかん、これだと小説なんだったか、まあ僕の場合は講座とかじゃなくて何書いてもいい場所なんだからいいのか、でも今書いてるのが何に近いのかわかるのはいいのかな、わからないとただ苦しいから。わかった上で見て見ぬふりする、ルールを破って面白さへ向かうのが気持ちいいんであって、虚勢だけではいけないわけじゃないがやっていけないんじゃないかな。ということでさっき散々名前出してる小説の書き方講座に、本筋の流れと文体とリズムが、ある場所で唐突にS字フックが外れたみたいに一点に向かって急降下していって、それは自分の胸の辺りの感覚で言えば、あるいは頭の火照りから考えればかかっている、と僕が表現するものに近そうだが、その状態で書いているものは小説と呼ぶらしい、山下先生はね、でもなるほどと思った、僕も今書いているのは日記じゃないな、日記じゃないなんてことがあるのかと疑うが、感覚としては何度もあった、一度ではない。僕から離れていく、本筋とか、言葉とかなんとか、全部忘れて、気づいたら知らないところにいて何も思い出せない、大体まずい、疲れたそろそろ休憩した方がいいと思うのはそれを書いている時だ、言葉が出ない、うまく文章が進んでいかないと悩んでいる時もしれはそれで苦しいが、小説をまさに立ち上げている時の苦しさではない、それは翻訳の苦しさだ。小説はあるものを書くだけ、坂口恭平にとってそれは目に見えていな具体的な風景、その具象画を原稿50枚として最低限の翻訳、つまり言葉と文字ということだが、それにして書く、他の表現も好きだが彼はその時書きたいわけだから文章を。僕は言葉がある、脈絡のなさそうな言葉だが後に繋がるとわかっている言葉ではない、文字の羅列ですらないカオスなまとまり、まとまってすらいないから僕は縮れていると言ったりするが、その文字群から目につくものを、選び取るとも違う、勝手に落ちてくる、重力ではない引力ではないフリーフォールによってかけ、これを書けと僕がいうからそれを書く、もちろん最低限の翻訳で。フリーフォールの話をしているときはイメージを膨らませたから、でも膨らませているから勝手に膨らんだわけではない、僕の原点は文字なんだと思う。なんだろう、文字を作った人とかが先祖にいるんだか、文字が文章になる前の時代に強烈なルーツがあるような気がする。さて、もう4000書けちゃいそうだが苦しいな、でも今日はコメントした直後なんでもしかしたら山下澄人が見てくれるかもしれないんで張り切ってかき切っちゃおうかな10枚。あともう150字くらいだから、水は飲むけど。うわもうない、普段ならもう一旦切って、しばらくティアキンとかおナニーとか読みたい本がないなとXを眺めたりして悔しくなりながら休憩しているところだが、今日は書いてみる、それで気持ちいいわけではないと思うがとにかく書き切ることを今は目指す、案外書き切っても気持ち良くはない、開放感はあってふうーと口から出るがそれは快感ではなくて深呼吸のようなもので、当然やらなきゃいけないこと、それを忘れたら死んでいるのと同じもの。会館へ向かわなくてはないらない、もちろんこれもあれだ、強めの言葉、強い力がなければそこそこのスピードでどこかへいけない、すごい力で引っ張られた時、僕に引っかかった糸とフックが初めて強張り、前へ進む、僕の力なんて、自分から湧き出る推進力はその他mのものではない、前へ進むのは僕の役割ではない、もっと別の何か、それは時間でもない。ただ一つわかるのは、僕を引っ張る何かは絶対的なものではない、それまた信頼しきれない不明瞭で野暮ったい、目を凝らさねばどうにもならない奴らだから、うっかり僕を落としてどこかへ行ってしまう。その間僕は仕方がないから小説を書くが、それがどうして中々悪くなかったりする、一人の時間はいつだって欲しい、そしてそのうちまた迎えにくる。彼らが前一緒にいた奴らなのかは知らない、知らないが引っ張ってくれるだけいいので、また引き摺られながら、なんとか痛みを和らげようと足で立ってみようとする。

8-9月収支記録〜足りなそうでわりと大丈夫〜
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