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U-NEXTに悩む/キーワードは「切り返し」

おはようございます!朝からU-NEXTに悩む。レアルマドリーとアトレティコマドリーがいい試合をしている、ちょうど早く起きたし家を出るまで時間があるし、明日も全く同じ時程だしで2000円払いたい。後ろ二つは書いていて気がついた、加入する方向に気持ちをもっていきたいのかもしれない。いやー、マドリードダービー、Twitterでそれぞれのサポーターの熱い応援と観戦レポが流れてくるとすげえ面白そうに見えて、今書く作業をしているこのデスクに、はるか西の方で、じゃないかこのカップ戦はサウジアラビア開催だからちょっぴり西の方で、ちょっぴりでもないんだっけ?日本地図は気づいたら県の位置くらいは覚えていたけど、世界地図の方はまずみないからわからない。みてみたら案外手に取るようにサウジアラビアの位置なんかがわかるのかもしれない、インドの位置はわかる。でもね、マドリードダービーって、というかアトレティコの試合って、いやレアルマドリーの試合もそうだな、当該サポーターの熱に浮かされて観てみるとそんなには面白くないんだよね。これはバルサの塩試合を僕がみてみたらまあしょっぱいけどなんとかながら作業しながらごまかしごまかしすすることはできるのと近いのかな。となると明日のバルセロナ対オサスナは観たいけどな。待て、スーペルコパの決勝って来月とかじゃないのかよ。今日準決やって詰め詰めでいくってこと?15日開催とか出てきたけど。ってことはレアルマドリーが決勝に上がってきて、上がってきたんだよね?とライブスコアを検索したらもう一点追加して5-3でアトレティコを下していた。ブラヒム持ってるな、こりゃCLでも重要な役割を担いそう、2シーズン前のロドリゴを思わせる。彼はCL前ここまで活躍を匂わせてなかった気がするけど。あー、ガビ見てー。スーペルコパといったらあの男よやっぱり。名試合だった。名試合といえばさっき目は覚めているんだけど体を起こしていない時に、今季一発目のクラシコは名勝負だったなあれ、と思った。そのときはたしか名試合じゃなくて名勝負って言葉を使った気がする、こちらの方が先。

加入せざるを得ないじゃないか、ならば早い方がいい、パッと2000円払ってそのあと調整してなんとかならないバランスでは今やりくりしていないのだから、と話をもっていくことになりそうなところで一度踏みとどまる。のは退屈なのでバックステップを踏んだりくるっと一回転したり、あたりを見回したりうろちょろして見る。そういえば起きがけに考えていたことがもうひとつあって、いや昨日の寝る前だったかな、なんか、前にここでやった収支計算では不穏な影を残して終わったけど、別にお金が足りないわけでもないんだよな、という。先月たしかバイトが終わった後に頭の中で改めて計算したら、今月の旅費の支払いに現金を余分に残しておいたほうがわかりやすくて安心だけど、とりあえずマックス23000円、アコムへの返済に充てられそうだなと思ったのだった。ほんで余分にといいますとどのくらいをお考えで?と聞かれて、交通費1万円、宿代5千円だから、とそのとき計算していたわけではないけれどたまたま8千円残せばいいかなと思っていた。契約上の最低返済額が8千円だからだ。で、今月ぶんの収支計算を前もって二日前くらいにやったわけだが、ここでも最後に残るのは23000円になりそうだということだった。ただこっちの計算でも僕は旅費を勘定に入れていたのだ、クレカで使うお金として。それに今朝だか昨晩だかよくわからないタイミングで気がついた。つまり、今月の計算をそのまま崩さずに活用するとすれば、先月の収支計算での「余分に残しておきたい金額」をまるっと考えなくていいことになるので、23000円と23000円で46000円、ちゃんと用意できるではないか。もちろん実際には先に旅費は引き出して、友人に渡しておきたいのでお金の動きは今の計算のプロセスと違ってくるだろうが、二ヶ月単位でバランスをとるための計算としてはこれでいい。当たり前の計算をややこしく説明しているだけにも思えるが、二ヶ月単位で、あるいは三ヶ月単位で収支をとれれば全く問題ないという場面と得体の知れない不安というのは不可分で、ここを丁寧に整理してみてあげないとわけのわからない買い物やケチり方をしてしまいかねないので大事なことだ。46000円?俺がアコムに返さなきゃならないのは40000円だぜ。この6000円、先月バイト帰りの脳内収支計算がガバいと見込んで半額に削ってもまだU-NEXT代が払えるじゃないか。余った700円くらいは、旅費にそういえば含めていなかった単独行動時のガソリン代にちょうど使えそうだ。そしてなんと、父からバイト先でドリップバッグ買ってきてくれよ、前PayPayで払うといってなんだかんだうまくいかなかった2500円も払いたいから1万円渡すよ。ともらったやつが今財布にある。もともと3500円のデカいセットを買ってくるよということでそれをもらったのだが、お釣りをとっといていいよと言われても、ちょっともらいすぎだなという気がしたので先日もう1000円使った。これで7000円、あとはもらってしもうてもいいかもしれない。強いて言えば父はけっこう深煎りのドリップバッグが好みなようなので、まだ買って帰ったことのないものをひとつ、800円くらいで買ってもいい。ただしこの2000円ちょっとには期待しないでおく、というのは動かせる額として勘定に入れないまま、僕にゆとりを与えてくれる存在として手元に置いておこうという意味だ。ていうかくどいようだけど、PayPayで払ってもらえなかったときの2500円って払ったの先月のクレカでだからもう精算終わってますやん。さらにゆとりができる可能性高。いや、若干ということにしておこう。しかし計算の上では高。これを知っていることが大事。心持ちと現にどこに身を置いているかと認識とは別物だ。というかもう7時半。10時出勤というのは油断させておいて8時半前に俺を家から追い出す曲ものである。しかも8時台、なぜかちょうどいいのがないから少し早めに家を出なくてはならない。外房線。ゴミも捨てとこう。母から頼まれた。

おつかれさんです昼休憩。朝こんなに書いてたんか。昼休憩はあと5分ちょっとで終わるんだけどようやく書き始めたところなので、まあ半分ちょっと、2500字あたりまで書ければなんとかなるかなーとぐだぐだしながらなにをやってもしっくりこなくなったタイミングでがばっと書き始めたところ、すでにそのくらい書けていた。午前ひとつ失敗をした。エスプレッソ飲みすぎた。その割に出勤前早くついたからドリップコーヒーを飲んでしまった。逆か。ただ思いついた順番はこっち。味をみながら抽出を練習しているのだが、お腹はゆるくなれど僕はけっこうガンガンコーヒーを飲んでいい体質だと疑うことなくガンガン濃いやつ飲んでたら、フラフラしてきた。耳がこもる感じがして、まずいあんまり鼻かめてないからなと鼻をかんでも改善しない。そもそも鼻をかめなくて息苦しいのであればこんな冷や汗は出てこない。そういえば研修にいったときに、エスプレッソを飲みすぎて気持ち悪くなってしまった人の話を聞いた。これは今思ったことだが、ニュースで中にはこんな人も、と去年の今頃に例に挙げられていたインフルコロナの併発もまんまと引き当ててしまった僕だから、またまた他人事を手繰り寄せてしまったんだとしてもおかしくない。

もう疲れちゃって、優先席の端っこに座ってます。まだひと席空いてるので譲るべき人を観測し次第立ち上がらなくては!という気の張り詰めかたはしてません。今日は一秒たりとも眠くなりませんでした。一ヶ月以上前にバイト先の先輩のノバさんが、カフェインというのはね、ナントカという成分がナントカという体内の物質に働きかけて、事前に眠くなるのを防いでくれるという性質をもっているわけなので眠くなってから飲んでも意味がないんだよ、と教えてくれた。今日は出勤が遅かったので朝はけっこうぐっすり寝れて、予想通り5時半に起きた。体を起こしたのが6時手前だったのは思っていたより少しだけ遅かった、といっても5.6分の話。書くのが思いの外捗ってしまったので家を出る前にコーヒーを飲むことはできなかったが、それを思い出してお店に着いてからすぐ飲んだ。いつもは午後に行われるエスプレッソの抽出練習が今日は午前にもあった。溢れんばかりの濃くて少ないコーヒーを飲んで、しかも空きっ腹に、まずは耳からおかしくなってそのあと冷や汗が出て、フラフラになってからしばらく休憩に入れなくて大変だった。昼休憩と回復し切らずともの元気な接客によって体調を取り戻した僕は、たらふく昼飯も(食い過ぎないように注意しながら)食ったことだしまた濃くて少ねえコーヒーを飲む。がぶがぶ水も飲みながら。このへんはアルコールとの付き合いかたと似ている、というかまったく同じである。午前ミホさんと練習して、午後シンヤさんと練習してまたミホさんと練習した。練習を始めてから今日までの10数日とは比較にならないくらいエスプレッソを落とした。さすがにちょっと上手くなった。お豆もお高いのを使っているし牛乳だけ使った練習をするよりは回数がかさむことが歓迎されていない感じはある。でもまあやる。申し訳ない、でも俺できるようにはなりたいんで、やらせてもらっていいですか?もほんとは聞かなくていいんじゃないかと思ってるけど一応聞いといて、たくさん練習した。この練習は迷ったまま終わるのだと思う。スチームも、カフェラテを仕上げる注ぎの練習もあれ、もう俺のをお客さんに出すの?というタイミング、それもギリギリ不安という域にまだ達さないくらいの、いや失敗のほうが多くなると思われますよ、というあたりで放りだされる。いいことだと思う。だんだんそこにありがたみを感じてきた。そうでなきゃ僕はいつまで経っても研修期間を抜けられないタイプだと思うから。初っ端のつまずきかたは、100人みて100人引くレベル。1000人いたら3人くらい、ほう、見込みあり、となるレベル。躁鬱人の割合でいえば100人に5人はいておかしくないのかもしれないが、ぱっと100人いるのを想像してとてもひとりいるとは思えなかった。躁鬱人は躁鬱人でも、社会化されることから意識的に逃げ続けている人だから多分その人は。1000人に3人というのは保坂和志の本で読んだ、この本を読んだらこれだけものを作って生きるやつが生まれるだろう、の割合だが、いや割合というより分子にあたる人間の生によりピントを合わせて発した表現だとは思うが、適当な場面で引用したわりにはしっくりくる。適当な場面で特別張り切ることもなく引用したのがよかったのだろうとも思うのは言うまでもない。ということにそろそろしたい。いつまでたってもこういう書き方をしている、でもここは書いとかないとダメだよなと思うから書いている。いずれ書く必要がなくなるんだろうなと半ば確信しているが、そこに至るまでには相当修行が必要だろう。でも毎日やってりゃ大丈夫、そして毎日できるからもっと大丈夫。今日はちょっと飛び飛びで、僕以外の人にはわからなくていいやという接続をいくつか試してみた、いいや、と思った数から推測するに10箇所はある。人に見られることがどうやっても必至となる場で毎日書いているから、ときどきはこうやっておもくそ意識してそれをやらなくちゃ上手くならないんだろうと思うから。そういう意味でも上手くなりたいので練習する。なんか、うぜえなこういう書き方してるやつ、としきりに言いたがる奴が僕の中にいる。そいつから逃げたいだけなのであればポンポンと視点を比喩から比喩へ、物語からもっと物語的なところで飛ばしてやるように書けばよいのだが、地に足をつけたままでないと真に小説が書けていることにならないと保坂和志は言っていたから、そういうつもりで僕はあれを読んだから、小説も書きたい僕は今日そうやって書く練習をした。小説から「超小説」へ、あるいは演劇だったり神話を書こうとすればその限りではないのだろう、それを書きたいならそのための練習をすることになる。ちょびちょびやりたい、ちょびちょびやってるときが一番幸せで、気がついたらちょびちょびできなくなっていくのだがそこでどう切り返してこれるか、「やり切る」だけでは乗り切れない局面が必ずやってくる。去年の僕は逃げるしかなかった、今年は真っ向から、でもないがそういう局面であえて粘ってやり続ける、このとき僕はやり切ろうとはしていない、じゃあどうしようとしていればそれができるのかが今年探していく部分になりそうだ。キーワードは「切り返し」。いい感じに適当に選んだ。案外役に立つ、間違いない。今年の抱負である。

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