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いやだったら飛び退く、うどんを食べる

おはようござ9mす!ライブ変換のせいだったんですね、今まで「こうじゃないんだけどなあ」という変換に苦しんでいたのは。これめっちゃいいじゃん、いまも、というへんかんにくるしんでいたと打ち込んだらあらぬところでぶった斬られた変換が第一候補になっていましたが、カーソルをぶった切られたところに持っていったらちゃんとそこできってくれました。カーソルとか切ってくれましたとかをライブ変換だとノータッチで勝手に変換してくれるのでテンポのずれはちょっとありますが、それにしても勝手に変換されたものを直すという二度手間がないのはいいですね。これ多分基本中の基本の設定なんだろうなと思いつつ、まあ気になってしょうがない時じゃなくて問題が解決するのはそれをなんなく攻略している人間のすがたをみたときなのかなとなんとなく思いました。あとムカつくくらいだったら離れる、それを自然にやった結果スマホでの執筆が多くなったのかもしれません。なんでもその場で調べるといったら聞こえはいいけれど、嫌なものと向き合い続けるのが得策ではない時もきっとある。昨日はバイトからの帰り道、家の扉の目の前にきてから鍵を忘れたことに気がついた。この日でさえなければというタイミングだった、父は朝から旅行に出かけ、母は休みで一日中でかけていて、妹は2週間に一回あるかどうかの遅くまでのお出かけだったらしい。母からの夕飯についての連絡と、そこから想像できる全員の遅い帰宅が、鍵を忘れたと気がついた瞬間に思い起こされ、キレそうになった。まずいこのままではキレてしまうと僕は思考の照準をずらすことにした。さっと地雷源から飛び退くように、漫画であればおそらく間に合わない反応の描写だが、昨日の僕は間に合ったようだった。そもそも鍵を忘れた僕が悪いのだ、この前図書館へ本を返し、また借りに行った時に、本の冊数が多くなるのを見込んであまり使っていないリュックを持ち出したのだが、そちらにしばらく車の鍵と家の鍵を入れたままだったらしく、母に車の鍵がひとつない、と所持を疑われた時も身に覚えがないという感じだった。あるとも思っていないがあのリュックをまさぐると、あっさり車の鍵はでてきたので謝って、玄関の小皿に置いた。まだ確認はしていないが、家の鍵も同じくあのリュックに未だ取り残されているのだろう。それは家族の帰りが遅いことを悟った際、ついでに確信したことだった。あのとき家の鍵も一緒に出して、いつも通りの場所に戻しておけばよかったのだ、そう自分を責めることで、理不尽な家族への怒りから目を逸らすこともできたがそうはしなかった。体を楽に時間をやり過ごすには、どうあれ人を責めることをしてはいけないような気がした。すでに19時が迫っていたので、ひとまず夕飯をどうするか考えた、というか考えるまでもなく、とりあえず近所のうどん屋に足を運び始めた。近所というには少し距離があって、20分弱ほどかかるのだが好都合だった。家に入れないと悟った瞬間、悪魔の囁きのようにその違和感を増長させた便意に目を瞑れば、20分時間も潰せるし近頃食べていないあのコシにかけた美味しいうどんも食べられるというのは、まさに僥倖というほかなかった。うどん屋への道のりで何をしていたか、翌朝となってはあまり覚えていない。毎日続けている創作的な日課のひとつに、喋っても喋らなくてもいいからとにかく1日10分録音するというのがあって、それはまだ家に入れると思っていた時の片道で済ませてしまっていたので少し後悔したのだけ覚えている。1日2回録ってはいけない決まりなどないが、なんとなくもったいないな、これからこんなに潤沢に時間があるのに、あるいはせっかく面倒な日課をやりとげたのに1日のうちにわざわざまた向き合う必要はない、いくつか別の方向へ向いて一斉に発令されたもったいないとい言葉がノイズのように作用して、それ以上録音のことを考えられなくなった。そのあと無事にうどん屋に到着して、入って右には家族向けの座敷やテーブル席が広がっていて、左には個人向けのこじんまりとしたテーブルや8人くらいは一緒に座れそうな大きめのテーブル席がひとつだけあった。1時間くらいはここで粘りたいと思っていたので、比較的静かな左側に曲がって、見渡すと一人で広々使うのにちょうどいい4人席は全て埋まっていたので、仕方なく大人数用の席を選ぼうとした。多くの人がすわれそうだといっても、四人席に毛が生えた程度のスペースというか、実際にテーブルの大きさはさほどかわらず、壁側のファミレスでいえばソファー席の役割を果たす木の座席に、ほかより多く座布団が敷いてあるだけだ。まあ多少居座れる時間は短くなるだろうが仕方ないか、と改めて全体を見渡したらさすがにちょっと窮屈そうなひとり席が空いていたので、今日は時間を潰すのが最優先だしな、と本来の使命と冷蔵庫にあるであろう母が僕のために買っておいてくれたグラタンに思いを馳せ、ここならどれだけいてもいいだろうと思えるひとり用スペースに身を移した。バイト先で好きな食べ物を聞かれて真っ先に口をついたのがカレーだったことに驚いてからずっとカレーが食べたかったことをメニュー表のカレーうどんから連想して、念の為僕が一番好きな野菜たっぷり肉うどんと価格を比べて、200円ほど違うことを確認してから注文した。そのあとうどんの到着を待たずに迷わずトイレに向かった。席についてメニュー表に目を通しながらも、何を食べるかよりも先に決めていたことだった。カレーうどんは10分ほどで食べ終わった、あと一息というところでTシャツにつゆが飛んでようやく味わい尽くしたという感じがした。つゆまで全て流し込んでも堪能できない感情を、それが喜びではないにせよカレーうどんなら味わわせてくれる。その後30分ちょっと粘った。一番最初の帰り道で買ったジャンプは、せっかくなら綺麗なものがいいと駅前のイオンにある書店で買ったのでビニール紐で縛られており、その場で読むことは難しそうだった。ポーチに鼻毛を整えるための小さいはさみが入っていたことを思い出したのはうどん屋をでてからのことだった。現金でしかお代を払えないと知り、収支のためになるべく現金を使わないよう心がけていた8月の感覚がまだ残っていて居心地の悪さを覚えた。しかしもう9月だった。それでも少し、1000円札を崩すことに抵抗はあった。去年は足りもしないのにバイトを切り詰める一心で、10円単位で月々の支払いを支払えるかどうかだったから未だに近くのATMから気軽に口座に戻せる1000円札を崩すことに抵抗があった。しかし今はカフェで手取り11万円ほど稼げば余裕を持って暮らせるとわかったので、月々1万5千円の貯金を始めて今月で4ヶ月にもなるし、例え現金の利用を切り詰めていた8月であってもそこまで気を使う必要はないのだが、得てして強烈な体験というのは、些細な判断のたびに顔を出してくる。そんな勤勉さは要らないと嘆いてもお構いなしに、むしろ勤勉というのは自分の都合のいい方向へ対象をマネジメントすることであると定義をすり替えようとする。そのたびに僕は思い出す必要がある。 なにを?といわれると言葉に詰まるから、単に思い出す必要があるということを心に留めていく必要があると思っているのだろう。立ち止まって、立ち退くか進むか、いずれにせよ素早く、こちらからアクションを起こす。それが今、僕にとって大切なことというか、それをやっていれば体は軽くなるという体調管理の術を記録しているだけなのかもしれない。うどん屋を出るともう20時すぎになっていて、まあ20時までいれたしそろそろいいかと出たのだが、僕の見立てでは20時半ごろには妹と母のどちらかが家に帰ってきてもおかしくなかった。とりあえず家に向かってみて、誰もいなかったらどこかの公園のベンチに座っていようと予定を立てた。しかし、こう見積もってみると不思議なことにむしろ家に誰もいなければおかしいような気がしてくるので、その目で洗面所以外の電灯が消えていることを確認した時は心底がっかりしたし、あれってもともとはついてなかった気もするよな?と楽観的にみて一応ドアノブも引いてみたが、やはり開かなかった。故障気味のダイヤル式の鍵は最近使っていないようだ、家を出る前よっぽど時間に迫られていれば、母や妹なら開かなかったらそのときはそのとき!と縦に二つあるうち上の、丸いつまみを左にひねるだけで施錠される方を使いそうなものだが、今日はそうではなかったらしい。思わずセキュリティ意識、あがってる…と呟いてしまった。ほとんど嘆きといっていい様子の呟きだった。とはいえそれも予定の範疇ではあったはずだと思い返し、早めに腰を下ろしたかったので家から3分ほどの神社へ向かった。鳥居の前に階段と通路を並行に挟んだ、木の植え込みを囲い込むような石のベンチが二対ある。電灯に満遍なく照らされている方に腰掛けて、何をしようか考えてみることにした。まだ日課のうち絵は終わっていなかったので候補にあがったが、それをするには落ち着かない蒸し暑さと虫の気配があったし、それがあってこその絵がかける可能性を鑑みても、僕は寝る直前に絵を描くのが好きだった。ただ、一から別の過ごし方を考えなければならないわけではなかった。十字に縛られた週刊少年ジャンプが、押し込めるほどのスペースも残っていないトートバッグに文字通り刺さっていたからだ。ここ3ヶ月ほど買っていなかったのは、サブスクの差し迫られる感じが肌に合わないと徐々に解約していく過程で、中学生のころはすべてを舐めるように通読してあまりある好奇心をぶつけていたこの雑誌との今の向き合い方にずれがあって、そのずれが悲しいもに思えたのが重なったからだ。改めて追いたい漫画ができたら買い始めればいいのだと、今週の新連載を前にいてもたってもいられなくなってから思った。いつだって文字にできるような動機の整理ができるのは、感情とアクションが噴出したあとなのだ。あるいは噴出するような熱と勢いをはらんだ感情とアクションに限っては、ということかもしれないが。魔々勇々はきっと面白い、面白いかどうかはまだわからないが、心と何かの接点ごと揺るがすほど衝撃的な漫画にであったとき、なぜか面白いという言葉はいつも要らなかった。なにかが始まっている、というか始まっているのは明確にこの物語だ、目の前にあるこれが始まっているのは確かなのだが、肝心な言葉が見当たらない。これを形容する言葉が。物語とくくるとアバウトすぎるからなにかで代替したいのだが、するとなにかになる。不思議なことに、もっと大きな広がりをもつ言葉を使うことになる。広がるものの主語を探しているのだから、それは自然な動きなのかもしれない。呪術廻戦から読んで、サカモトデイズ、魔々勇々を連続で読んだ。買う前にインスタグラムのストーリーで、少年ジャンプ公式の告知ツイートをそのままスクショしたものに、おもしろそうとだけ打ち込んで初期配置のままアップしたのだが、そこにリアクションしてくれた二人の友人が勧めてくれた3作だ。新連載はできることなら家に帰ってからゆっくり読みたかったので後に回して、ざっくり読んでも面白そうな二つから読んでみた。3ヶ月前まで鼻についてしょうがなかった呪術廻戦の作画とサカモトデイズの台詞回しやキャラ付けが、少し素直に入ってくるようになった気がした。少年漫画なのだからある程度こういうのが好きなんでしょ的な見せ方、構図やコマのぶち抜き方含めた作画面然り、洋画の字幕を思わせる台詞回し、歴代のジャンプの名作からオマージュしたような定型の演出然り、毎週19ページもの量を連続的に読んでもらうのならば脈々と受け継がれてきた知恵をむしろ見え透いた形で散りばめることは、むしろやらねば傲慢といえるような基本装備なのだろう。重箱の隅をどうつつくかというパフォーマンスに振り切ってしまえばいくらか書くこともできるだろうが、その先には人間としてのどん詰まりだけが待ち受けているのだろうとも思う。だから重要なのはこれはどう面白いのかという具象を、いかに衝動的な怒りを排して語るかということ、かけている部分に目を向けるなら心を平静に保てる時間帯に、最低限の範囲で、というか自分の中でだけ完結するやり方で書き残しておくこと。そこでも怒りはいらない、他人の作ったものを語るのに総じて怒りはいらない。そんなものはみられるだけ損だ、損得で語るとしたら例えばティアキンの楽しみ方よりむしろそこではないかと予感している。3作は結局続けて読んだ。ふと紙面から視点ををずらすと途端に足首や腕がかゆいような気がしてきた。旬を過ぎかけている蚊に儚さを感じるにしても、さすがにこれ以上刺されるのは辛いと思い21時過ぎに再び家に戻った。明かりはついていなかったからマジか、とは思ったしため息混じりでなにか文句を垂れた記憶もあるが、散々座ったのでまあ歩くかと少し散歩することにした。ここから先は書くことが少ない。坂口恭平のドキュメンタリーがまた出始めたので第5回を流してはー、そうやってカタログレゾネに値段をつけていくんだと商売のやり方に感心していたら、母から連絡が来た。この時間まで家に入れなかったことに同情してくれたようでごめんね、からはじまるメッセージだったが、すでに謝ることなんてなにもないけどな、と判断できるくらい頭の中が整頓できていた。これから風呂をわかすが、風呂にはつかりたいという母の要望や、23時前に車で20分くらいの隣の駅まで迎えに来れる?という妹のメッセージがたまたま重なって気は滅入ったが、風呂が沸く前に帰って俺がシャワーだけ浴びればスムーズに回る、台風の影響はもうほとんどないから最寄りまでは来てくれ、とか僕のやりたい動きともミックスさせたら、まあ体は疲れたが特に問題はなかった。いっときはしんどいことが重なって地獄かとも思ったが、その度飛び退いたりやりたいことを淡々とやってみたりしていたら、全部片付いた。それと夜遅くでも気にせず飲めるように、デカフェのコーヒー豆をもらっておいたのは得策だった。妹が家に着いてから洗面所の鍵を閉めてしまい、歯を磨けず足も洗えない事態にもなんとか対処できた。なんなく、だと脚色がかっているから、なんとか。絵も片付けて無事に歯も磨いて足も洗って、0時前にはベッドについた。念願の就寝タイムだったが、20分ほど夜更かしをしてから眠りについた。そして6時に起き、腹が減ったのでハムチーズトーストと硬くなったバゲットを食べて、7時前にこれを書き始めた。気づかなかったが8時には母も起きてきて、休憩がてらコーヒーを一緒に飲んだ。妹はまだ寝ている。10時まで再び書き進めて、母を駅まで車で送った。明日は大学時代からの友人と野球を見にいくのだが、ビール代をだしてくれるらしい。1,000円分のQUOカードもくれた。嬉しい臨時収入だった。家に戻ってからも妹はまだ寝ていたので、妹宛に届いた封筒を枕元に、水の入ったカップと母が昨日買ってきたフィナンシェを横の机においた。その場から離れると、5分ほどして口をつけているようだった。昨日デカフェのコーヒーを注ぐついでに仕込んでおいたアイスコーヒーを二人分ついで、お菓子を食べ終えていることを確認して届けにいった。飲んでくれたかは確認せず、2階にあがってまた書き始めた。11時22分、そろそろ書くのを終えて、昼飯の支度をしにいこう。といっても僕が昨日食べなかったグラタンを温めるだけだ、レタスでも添えるか。アイスコーヒー飲む?と聞いてうなずいていたから、もう飲み終えているだろうか、寝起きの反応だからあまり参考にはならないけれど。

礼賛、さぬきになっちゃった

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