見出し画像

ビンタされて吐き出したゼリーが美しかった話

おはようございます!5:21!昨日は録音に使っていた朝駅に向かうまでの時間を書くことに使ってみています。ちょっと使うってのもあれですが。そういえば昨日中秋の名月を見逃したんですが知った頃にはもう体が椅子からベッドから動かなかったので、あー残念だなと思っていたのですが、今朝家を出たらまず赤い横線が連なったような雲、夕焼けの色とも少し違って朝にはあまり見ることのない黄色みがない赤だったので、Twitterでみた魔王が復活しそうな月という言葉を思い出してたしかになーと写真におさめてよっこらと歩き出したら、なんと逆方向にくっきりと満月が浮かんでいました!

全然書かずにバイト先の最寄り駅についてしまった。ここ数回の通勤中の過ごし方を参考にすればちょっとでも書いておいたほうが楽なのだが、今日に限っては書きたくないというより本を読みたいという欲求がもっと内側にあるように見えたのでそうした。坂口恭平の心学校。芸術について、また生き延びるための技術について、今の彼はどう考えているのかをこれだけの文量でこれだけ真面目に?茶化さずに?なんというか作中の言葉を虫喰い的に用いれば素人だと思われるための擬態をせずに、あるいは小さい頃から変わっていない部分、じぶんの原理、誰かの原理、通底する原音楽、それがきこえている、ずっときこうとしていることをパレーシア、真実証明的に文章や絵、なによりそのままダイレクトに、という意味では音楽や声にのせて表現していこうとすれば、最も大きな社会とみなされている存在からは勝手に素人認定されるというだけかもしれない。脇道にそれたが、素人に見えるように、というところにエネルギーを注がずに自分のことを話しているのを読めるのがとにかく嬉しかった。これを読みたいと思っていたところで出版されてくれたと思った。

書く。なぜか書いた、と最初に書いてしまったのでそれも残しておく。風が強い。眠気はそこそこ。とりあえず寝ずに書いておこうというくらい、バイトへ向かう道であまり量を作れなかったからというのも多分ある。涼しい、半袖でも肌寒くはないくらいで、かといって生温くもない、人肌に馴染む温度の風が吹いている、ただし強い。最強ではないにせよ、いつ美容院行こうか判断を先送りにしていることをめくりあげられている気分だ。そのくらいの風の強さ。めちゃくちゃ強くはない。一度本を読みたいから読んでみようかな、今日は昼飯をサクッと食べ終わって、15分ちょっとで控え室を出てきた。11:15くらいに戻ればよくて今10:40だから、まだ30分は時間がある。10分くらい別のことに使っても支障はないだろう、最近はずっとイーフトに使っていた。浸かっていたとも言えそうだが、大学生のときならまだしも今は1日1時間くらいしかやっていない。だいたいそう。1時間〜1時間半やれば満足してしまう、飽きるというかさーて、今日はこんなもんかな、満足とも違い感じがするが。満たされてやめるわけではない、やっぱり飽きている。その証拠に毎度今日はこれができた、と進捗を確かめて、それが微々たるものであれば落ち込んでいる。だから多分満足して辞めているのではなく飽きて辞めている。

読み終わった、あとがきまで。最初から通してあとがきまで読んだら、みなみしまさんの心の解釈がストンと落ちる感覚があった。心とは一人一人の中にあってそれぞれが誰のもの、とラベリングされるのではなく、対象との間にこそ生まれるもの。たとえば骨折した父に対してはこれを悪いこととは思ってほしくない、情けないこととも思ってほしくはなくてバリバリ旅行に行って山登りをするかかずーっと家にいるかの極端な日々と向き合う時間ができたと思って欲しい、ここまでいくと欲望と書いたラベルを貼りたくなってもくるが、また母には父の怪我で家事の負担が増えたことを労りつつも、やっぱり弱っている人間は守ってあげてほしいという心が、妹には最近できる家事が増えてきて偉いね、父と母との関わり方が難しそうな時期だけど傷つきそうになったら距離をとってな、そのときは絶対お前の味方につくからな、という心、心というかこちらはメッセージと書きたいくらいだが、全てが同時に成立することはないというか、これが父と妹といる空間、母と妹といる空間、思うことはやっぱり変わってくる。思い方が変わってくるというべきか。たとえば父がいるときは遅くまで風呂に入らない母に苛立ちを覚えるときもあるが、父のいないときはまあ一日働いて帰ってきたら体が動かないこともあるよな、ともなる。対峙する相手によって変わるものを僕は振る舞いであると考えていたが、変わるのは心だったのかもしれない。そして誰と関わるにしても変わらないのが立ち振る舞い。心が内で、振る舞いが外という図をまず書き直していく必要があるように思う。強い言葉を使う人との間に生まれる心は少し攻撃的な色が滲んで、身振りで表現したくなることもある。そんなときでもきっと、振る舞いは共通だ。そして共通であることがは人間に備わる自動防衛機能でもあるのではないか。


雲の分断

つまらん。イーフトつまらん。をおさめるために書いていこうとしたらもう止まっている。なんという処方箋。処方箋ではなくお薬。しかし処方箋でもある。書くのは僕だから、でも文章がそれを与えているとともに癒しそのものとしてそこにいる。今日僕は散々書くことを後回しにしてきた。なんだかいける気がする、かこうがかくまいがそんなに心配ではない。それでも後にやるべきことが残っている引っかかりはあった。というか僕が書くことに取りかかっていなかったのは何度も何度もここに書いている気がするがもっとやりたいことがあるというサインだから、それをやればいい。最終的に書かずに終わったというならそれはやりたいことができていないがために行動がロックされてしまった、と見ることもできる。だから文章をたくさん書けた日は、文章以外のことがたくさんできた日でもあるのかもしれない。そう思うとつくづく僕にとって書くことは敵ではない、もともと敵ではないがめんどうなこととして横目で見えるところにどかっと座っているように見えることがある。それが見えると僕はうざいなあ、窮屈だなあと思うのだが、よくよく耳を澄ますと書けと言っているわけではない。書くなといっている。書かないなら書くな、目障りなんだよそんなとこずっと突っ立ってられるとよと言っている。そんで僕はムキっとなって試合に出場するのだ、怪我をおして。この場合の怪我とはなんだ。怪我とはトラウマか?鬱か?これ以上いったらやばい、という恐怖、怯えか?それがよく見えないから怖い。うまくいかなかったらここに戻ってくればいいだけだと分かってきているはずなのだけど、それでも怯む。これをやってうまくいかなかったらこれまで慎重に丁寧に積み上げてきたものがサラサラーっと風に飛ばされるわけでもなく作った翌日ドロドロに溶けていく雪だるまみたいにどんどんその目はうつろになって、頭と体の境も地面も手も足も木もごみも境が見えなくなって、とうとう何もないのと同じような見かけになってしまうのではないかと心配になる。案外境がわからなくなってどんどん溶けて何かに滲んで広がって、それって実はとんでもなく面白い動きが始まっているんじゃないかと思ってきた。誰も雪だるまの大きさで競ってるわけでもない、僕の認識できる誰も雪だるまを作れなんて言っていないのに僕はそれじゃなきゃ怒られると思って作っている。でも誰もこない。溶けても大きくなっても誰もこないが、僕だけが怒って喜んで、また怒っている。雪だるまはもうみぞれみたいなものだけその場に残って、隣町の土にまで染み渡っている。そこには僕の目がついていないから何も見えないような気がするんだけど、それもまた雪だるまを作らなくちゃいけないと思っていたのと同じで、見えないわけではなかった。体は土に覆われていて、そのすべてを感じることができる。感じることができているのに僕は見えていないと思っていた。

さて、洗濯物干しも弁当袋の片付けも終わったところで、今日はなんと最後にこれを書き終えて寝るパターンらしい。これは今後も珍しいままだと思われるが、特に気負わずやっていこう。あと600字くらいだから、お茶濁してるだけじゃ終わらないくらいなのでなんかパッと目につくものが現れるまでとりあえずぼーっとしてることにしましょう。ぼーっとしたまま終わってくれたらそれはそれで、これがダブルスタンダードです。僕が法学部でありながら憲法の単位を一つも取得せずに卒業するに至った大元の原因とされている、ダブルスタンダード。憲法は法に対する法だし格式的にも易々と変わっちゃまずいから、いや違うな、なんちゃらに関しては厳格でなんちゃらに関してはゆるいみたいな話しだった気がする。覚えてないな、言葉だけ覚えている。だいたいそんな覚えときかたをしている。フレーズだけ出てくれば、あとは勝手に相手が面白がって膨らませてくれるから、俺はただその人との間にあった会話のひとかけらを覚えておいて、そろそろ忘れてんじゃない?というタイミングで出してみると案の定なんでそんなの覚えてんだよ、むしろ言ってなくね?みたいに爆発的な笑いが生まれたりする。笑いというかなんだろうな、暖かさというか、温度が上昇する感じがする。僕と彼の間にある、みなみしまさんの解釈でいうところの心が再燃して、それを懐かしがっているわけではなく、ただ新鮮なエピソードとしてその度笑い転げている。そういえばそうだ、あの笑いは過去を慈しむものではない、何度も何度も擦ること自体を面白がるときもあるが、僕が好きなのは毎回初めて喋るような口調で、ユウダイが給食のじゃんけんで勝ち取ったゼリーを口に含ませて、頬を膨らませながら敗者のアリイにみせつけていたらそのまんま平穏に場が流れるわけもなく、強烈なビンタをもらったユウダイはたまらずゼリーを吐き出すのだが、見せつけることに専念して食べるフェーズに入っていなかったそのゼリーは他人の口から出てきたものとは思えない形の整い方で着地して、ここから先は多分僕の脚色なのだがプルプルプルプルッ!!と4.5回揺れた。助走をつけてプッチンプリンを側面からプッチンしたらこんな感じだろう、という揺れ方をしていた。もはや本当にあったかどうかも怪しい話を、本当にあったかどうかは全く重要ではないという心持ちで話して、俺が笑っている。不思議なことだなあとそういえば思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?