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ガチ雑記2

おはようございます!やや頭痛い、眠いのかよくわからない、バイトに向かう電車から書いてます。6:06、朝ごはんはチーズトーストwithポークビッツ4本です。あれ散らすと一気に肉肉しくなってホットドックと錯覚するとかはないですが美味しいです。ポークビッツは指で四等分くらいにちぎってスープに入れると食感が楽しいしハムやベーコンの代わりにもなるのでそれもアリですね。昨日は皮がしなびてきたナス一本となにやら1ヶ月半くらい野菜室にあるゴーヤの残り半分を使って、味噌コンソメスープにしました。最後に春雨を入れて火を止めて、といた卵を流し込んで少し置いて、そろそろ固まってきたかなというタイミングで軽く混ぜるとよく見る卵スープと似たような感じになります。あれさっさと混ぜちゃうとただの濁ったスープになって切なくなります。固形のスープの素とかから作るより卵のごろごろ感がありますが、なんとなく自分で作るならそのくらいゴロゴロしてないとあってないような気がして尺度の違いを感じました。眠いっちゃ眠い。最近の流れでいくとこういうときは迷わず一度目を閉じて、2分もせずに目を開いて書き始めますが、今日もそうします。眠いから。

起きました。結構長く休憩してましたので6:30です。ちょっとだけ息苦しいので立ち上がって隣の車両にでも写ろうかなと思いましたが、そついや新小岩あたりからえげつない数の人乗ってくるなと思いとどまりました。思い留まるってこういうところで使うと行動を保留したこともその根拠も同時に説明できてスタイリッシュですね。なんか行動に移す前にやめた、という点では同じなんですが示している場所が違う感じですよね。まさにやろうとしていたこと、例えばボールを奪って人数は少ないがヤマルとレヴァンドフスキだったら攻撃を2人で完結させられる可能性がある、しかしまだ慌てるような時間帯でもないしむしろボールを持つ時間をじりじり増やしていきたい、というふうになんか例が長くなって若干言いたいこととズレましたが、まさかにやろうとしてやめたこと(=2人での自陣からのロングカウンター)にフォーカスするのがワンセットの思い留まる、一般的な意味ではこっちですね。対して今たまたま出てきた思い、留まるはいや待て、そりゃ可能性は拓けているが低い位置から一気に押し上げてフレンキーデヨングまで引き出して、セカンドボールを五分五分で拾われるリスクに見合う攻撃か?みたいに行動を留めさせた思い、主導権の再奪還とネガティブトランジションへのかすかな不安、そこにフォーカスしている。

バイトの最寄りについた、結局新小岩で思ったほどの数は乗ってこなかったな。しかしそれにしてもトランクスの開放感はいい。そしてホームの階段を間違えた、ちゃんと確認したつもりだったのに。いつも使っているほうは真っ直ぐホームを進んで階段を降りていくだけでバイト先のある商業施設の目の前までいくことができますが、今出てきた方はまさに駅前という場所に出てしまうのでここからだと少し距離があります。その分ホームで歩いている時間は1分ほど短いですがそれにしても2分くらいはロスがありそう。このまま歩いてその差を確かめてみることにしましょう。暑いなー。これ渡りたいけどなー。横断歩道の2メートルくらい前で歩行者用の信号がチカチカしてなかったら走ろうと思っていたら燦々と光続けてくれていたので渡れました。案外余裕があった。でも同じようなペースできたとして同じ信号に引っ掛かったらちょっと焦るかもな。あの信号は渡った方がよさそうだけど、逆に言えば若干早歩きできてもその前の周期で引っかかる可能性があるのか。まあそこまで考えてもしゃーないか。

今6:53、なんか5分前出勤みたいなルールなのか不文律だか曖昧な文言があるのでそれにはギリギリ間に合いそう。ただ出勤ボタン押してからトイレ行くことになる。

はい昼休みはい書く。はい後半ちょうど残り30分。7時からなんで16時終わりだけど今日は休憩前頑張ったから戻ってから3時間もない。楽勝かと思いきや楽勝。16時終わりだと楽勝。17時終わりだと同じような残り時間でもちょっとだけ長く感じる。18時終わりだと普通に長い。残り何時間とかあんまり関係なくてやり過ごすことだけ考える。今日は朝イチシャッキリ気味だったので夕方および休憩前の1.2時間がけっこうぼーっとしてしんどそうだなーと思ってましたが、警戒できてたからかそんなに今のところキツくはありません。頭の軽やかな時間帯に、その通り身体をじたばた動かし過ぎない。そういうときってひとつ上手くいかないとガラガラあっさり崩れて砕けて砂になって何もなかったみたいになっちゃいますから。なにもないようなものだったという記憶だけが残るのは嫌なので、バイトの日にやたらと朝調子がいいときはあまりはしゃがないように意識し始めました。さっそく効果があったと言えそうですが、そういえば11時前くらいかな、しんどかったななんか。うまいこと雑談できないのが3回くらい続いたのかな、適当なことばっかり喋りやがって、って俺も適当なことばっかり喋りながらムカついたり、楽しそうに談笑しているスタッフをみてたらなんかしんどかったです。もっと前の時間帯だな、9時過ぎとかですかね。いつもはちょっとはええなと思う10時からの休憩も今日は嬉しいなと思ってたら12時からでした。まさかの前5後3のやつ。こう書くとパワプロアプリのデッキの話してるみたいだな。前イベ後イベ。店長が17日に人が足りないと言っている、そういや17日は入ってなかったけどそこはいると4連勤になるからやめとこ。4どころか3もしないことにしてます。3いくと2連休したくなって、そうするとジリ貧になってくんですよね休みを散らそうとしても。だから3連勤を全く作らない代わりに2連休も月に2回にして、小刻みに休みながらうまくバイトの日と友達と遊ぶ日を被せて、1人で過ごせる休みの日をガッツリ確保しつつ交通費も削減しています。今月は相当お金の面では余裕がありそう。まず従来より2日多く入ってます。いつもは、っていうか毎月入れ方変えてるんで今のところ、先月の後半とか2連休をなるべく作った方が楽かなと思って希望作ってたら、なんか4連休とかできて思ったより稼げないし、あったらあったで最中では嬉しいけど本代とか切り詰めてまであんなに休む必要はないなと思って、9月前半のシフトからはさっき言ったみたいに3連勤作らない代わりに2連休減らす方式で希望出してみたらしっかり通って、結果的に月の前後半1日ずつ増えるような感じだったので勤務時間だけ見た時は20時間とか増えてて不安でしたが今のところ余裕そうです。もちろん土日とかはキツイんですが3、4連勤の最後とかに被せなきゃなんとかなりますからね。一つの正解に辿り着いた感じがあると高らかに謳いたいところではありますが、今月終わってみてからですね。とはいえもう15日ですか、もう半分は終わってしまうわけです、今は2連勤の1日目なんで、明日には9月後半の9日間に突入するんですね。それ終わったら残り8日だから実質いままでと変わらんやん、って気分で乗り切れそうでいいですね。土日はどちらかしか入れないようにしているので給料も変わりませんしなにより断然キツいし、あと2回くらいしかないんじゃないかな。となると楽勝ですね。土日がキツイといっても引越しの方が全然辛いですから、肉体的には当然ですが引越しに入らなければならないとわかってる時の身体の重さが尋常ではない。ほんとよく2年もやってたなという感じで、客として引越しを利用するのもしばらく心がけてキュッとなりそうです。でもまあカネコさんと出会えたのは最高でした。どんだけの物量でもやればおわんだよ、と言ってました。やらなきゃ終わんないではないのもいいですし、彼のトラックの中でのやっぱ文句垂れてんじゃなくてこういう時間も楽しくないとさって哲学しかり、清水翔太をコピーして鍛えたとされる激ウマカラオケを筆頭にやたらとモノマネとか僕の苦手な「遊び」分野での無類の強さもそうです。僕の気分が悪かったり、例えば今日の9時過ぎのように、あるいは単にその人の雰囲気が好きではなかったりすると途端にんだよ中身のねえしょっぱいことばっかヘラヘラやってんじゃねえよと思ってしまう遊び分野ですが、カネコさんがやってるとなんですかね、本気を感じるというやつでしょうか、彼はガッツリ練習してることを公言してるしめちゃくちゃ朝まで飲んでから出勤してきても機嫌悪くしないんで、元気がいいとはいえないときもあるけど、ほんと楽しい人でした。

お疲れさんです17:05!座れぬ。新小岩から乗り込んだ総武線快速で、千葉駅まで座れぬまま帰る。しかもほぼノーチャンス。なんとなく今日は座れない気がするなと思い席の正面ではなくドアの前、シート型にくり抜かれたプラスチックの白い外枠を正面に見て、ドアの透明なガラスに身体を預けている。そういえばこちら側はずっと開いていない。シートの正面に立っていれば、と思う場面もないではなかったが、決まってその正面にはじいちゃんとばあちゃんとおばさまがいた。予想通り、根拠もないので予想というかただ空気を読んだだけという感じだが、稲毛駅までは座れなさそうだ。多分稲毛までいけば席がごっそり空いて座れるがもうあと一駅である。もちろん座るけど。この数分間の休息が僕の腰と脚にどれだけゆとりを与えてくれるか。おなかがべらぼうに空いている。昼ごはんはかなりがっつり食べたのだが。いつも通りのおにぎり二つと、パウンドケーキ、新作のさつまいものスイーツの切れ端。ちょうど明日までで廃棄のプリンもあったので丸々ひとつ食べることができた。かなりのボリュームだったが珍しくお腹がゆるくならなかった。僕の感覚だと、牛乳が多すぎるとだめ。ほんでダメそうなときは大体わかるのだがたまに読み違える。僕は読みというのは何を読んでいるのか聞かれたら宙に浮いているこの世界に共通の数式みたいなものをイメージしていたのだが、最近ははっきりと、たとえば腹の調子なら腹のあたりに浮かんでいるわけじゃなくしっかり密着した部分になんらかの方法で、えんぴつやボールペンではなく、痛みはないから焼いて刻むわけでもないが、そこは頭と心臓と繋がっていて僕が文章として思い出せる限りはいつでもお腹の裏側含めたひょうめんに髪の上にのりで文字を書いてから砂をわしゃわしゃかけて、またわしゃわしゃ落とすと勝手にそこにあるひらがなの自分の名前みたいな。数式というよりはやはりというべきか日記のような記録を読む。文字を追うというよりは、その文字列に目を通している内に、不思議なことに絵でも写真でもない、強いていえば糸のようなイメージが立ち上がってくる。立ち上がってくる、たちのぼってくる、という言葉から連想すればそれは煙や水蒸気、湯気みたいなものである気もしてくる。今僕にとって空気を読むとは、それを読むことだ。そしてそれを読んではまた日々書き込んでいくことで、もちろんその方法はまず目に見える形で文字を刻んでいくことだ、すると全部ではないし大事な部分が勝手に残ってくれるほど都合のいいものでもないと思っているが、なにかしらは残ってくれる。要約とも少し違って、村上春樹から言葉を借りればテクストと呼びたくなるような文字群が残る。それをヒントにまた書き、その前後で空気を読む。今はそれを繰り返すことに居場所をみつけ、それらが残っていくことで毎日自分が存在したという事実を確かめ、この行為自体ではないがそこから生じた喜びや希望、あるいは危機感や絶望を、とにかく今あるもの、というか前あって楽しかったのにそういえばなんで今はないんだろう、というものにのせてガシガシ質量を持った形に立ち上げていこうとしている。のだと思う。その最たる例、つまり最も新しい試みということだが、それが大学の友人たちと始めたデジタル交換ノートである。一発目、僕が偶然を頼りに指名したヒラヤマがとんでもなく面白くてしょうもない、僕にとっては中身ぎっしりのしょうもなさの原稿を送ってくれた。昼休憩で今日の日記をひと通り書き進め、戻る前に昨晩僕が寝たあとに届いていた原稿を読んでみることにした。けっこう量もあったしそのくせ緻密さというか、俺たちにウケるように作られた丁寧な文章だということがパッと見でわかったので、これ二発目で大丈夫だったかなという不安も少しあって読むのを躊躇っていた。でもやっぱり僕は投げてればいいんだ、具体的な期待なんて持たずにただ一つの面白い絵面をもとに企画をみんなに投げれば、勝手に思いもよらないものを作ってくれるのだ彼らは。その塩梅には今も悩んでいるのだが、まあ塩梅なんてものを共同制作で気にしているうちはしょっぱい感性でしかないのかもしれないが、とにかくもっと任せる。思いを伝える、お願いをする目的があれば量を書く、俺のことを書く。知らねえ面白いものが見たくて人に何かを頼むときは多くを語らない、俺のイメージはいったん伏せておく、というか含ませるようなイメージで明言しない。ハンバーグを連想したがあれは空気を抜くんだったか。とにかくまた出来ることがというか気軽に味わうことができる面白さが広がった感じがあって嬉しい。僕としては日記ではなく、ただ作ったものをなんでも置いといていい、古本市の端っこにあるご自由にどうぞの本棚みたいな風景を見るつもりでこれを立ち上げたから、1日1本というより2本3本、実際に集まった時はふざけ半分でバカみたいに連鎖が起きちゃっても面白いと思っているのだが、どう転がっていくだろうか。書けば書くほど何も言わない方が面白いものが見られそうな気がしてならない。面白い、というとアバウトだがやはり知らないものを見たくて始めたんだからそれは必然の流れなのかもしれない。さあ、どうなるか本当に楽しみだ、今日のヒラヤマの原稿を受けてほんとうにが二つほど追加された気分です。

すいか

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