いちばん近い他人

いちばん近い他人のままで ぼくが帰れば
いちばん近い他人のままで 傷つく人はいないけど


いつもみたいな飲み会だったはずだった。
いつもよりハイペースだった恵理はあっという間に潰れていった。

「恵理、大丈夫か?」
「大丈夫じゃないもん」

酔っ払った恵理はまっすぐ歩くことすら困難で、俺は仕方なく家まで送ることにした。
恵理とは大学時代からずっと居心地のいい関係だった。
お互いの恋の悩みや、仕事のグチなんかを好き勝手に言いあえる相手。
もしかしたら、お互いのことを誰よりもわかっていたのかもしれなとうすうす思っていた。
俺はそれを認めたくなかった。

そう、恵理にも、俺にも、恋人はいたから。

恵理の部屋のカギを受け取り、ドアを開け、ソファーに恵理を放り出し、冷蔵庫を勝手にあけて、
恵理のお気に入りのグラスに入れた水を手渡す。
なぜか、いつも冷蔵庫に入っているトマトジュースを手に取って、ソファーを背もたれに、床に座り込んだ。

ここにいるのも不思議な感じはなかった。
いつものように俺は家に帰るつもりだった。
恵理の涙を見るまでは。

「恵理?どうした?」
「アメリカに行くかもしれない」
「え?」
「裕也が転勤なんだって、結婚して一緒に行こうって」
「よかったじゃないか。何で泣くんだよ」
「寂しいから」
「行く前からホームシックかよ」
「マリッジブルーだよ」
「あほか、俺、帰るぞ、それだったら裕也くんを呼べよ」

ソファーに横たわった恵理の涙は止まらなかった。
止めようとしている風にも見えなかった。
俺はその涙を見なかったことにすると決めた。
そして、電話をとってタクシーを呼んだ。

トマトジュースを飲み干して、缶をガラステーブルの上に置いて、立ち上がる。

「帰るぞ、恵理」

恵理に背を向けてドアに向かおうとしたが、その手を恵理に掴まれ、動きを止めた。
俺は言い訳を欲しがっていた。
自分からその一線を越える事ができない臆病者だった。

「秀、行かないで」

ゆっくりと俺は振り返る。
恵理は瞳いっぱいに貯めた涙の雫をぼろぼろとこぼしながら俺を真っ直ぐに見つめていた。
俺はもう目を逸らすことができなかった。

「裕也と一緒にいく自分をイメージできなかった。秀に会えなくなることが一番、苦しかった」

とこぼす恵理を俺は抱きしめていた。
携帯が俺を呼んでいる。
その音すら俺にとってはもうどうでもよかった。
このまま恵理を離さないことが大事だと思えたから。

失いたくないのは俺もだった。

いちばん近い他人−稲垣潤一

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