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TO THE TOP -10 years later 4 どどかなかった夢-

2016年5月28日からリオオリンピックのオリンピック最終予選(OQT)が東京体育館でスタートしました。私にとって初めてのバレーボールの国際大会の生観戦でした。

2015年WCで活躍した代表チームがオリンピックの切符を取ることはあまり疑っていませんでした。今、思うと情報量が圧倒的に足らなかったからで、事前にもっといろんなことを知っていたら、多分、期待値は違ったのでしょう。

1戦目のベネズエラ戦はかろうじて勝ったものの、このチームがいい状態でないんだろうな、というのはなんとなく感じていました。


2戦目の中国戦。
2023年のOQTで自力でオリンピックの切符を取るまで見返すことができなかった試合でした。私の中では中国の高いブロックに祐希さんのブロックが止められた瞬間のイメージがいつまでも、いつまでも消えない試合になりました。彼はもっとできる選手だったんじゃない?と頭をよぎりました。


彼がベストコンディションでなかったことは特集番組で知りました。
そんな中で無理を押して出てきてさらに怪我を負ったのはその先の試合のことでした。
オーストラリア戦で変な転び方をしたあと、立ち上がれなくて、コートを一旦おりましたが、彼はコートに戻ってきました。それでも、もうその足が限界であることは見て取れました。

これ以上、戦わなくていいと心の中で思いました。
彼はまだ20歳。
未来のある選手がここで無理をおしてコートに立つことはないと思ったからでした。
結局、そのあと、祐希さんがコートに戻ることはなく、日本はオリンピックへの道を絶たれました。

何が起こっているのかさっぱりわかりませんでした。
2015年のWCで見たキラキラしたチームはそこにはありませんでしたし、私が期待していたものは目の前にはありませんでした。

最後の試合の後、石川祐希さんがコートエンドで何を見ているかわからない眼差しで、ぼんやり座っていた姿を見ながら私は深い沼に落ちていく自分を感じていました。

彼はきっとこんなところでは終わらない。
今日、手に入らなかったものをきっといつか手にするはずだと確信めいた想いが湧き上がっていたのです。

辛くて、苦しくて、そして、しんどいこのリオオリンピックのOQTを経て、私は日本男子代表チームがこの悔しさを糧にいつかきっと強くなるとなぜか信じていたのです。どこまで駆け上がるかを見届ける決意をしたのもこのO QTが終わった時でした。

そこからの勢いはすごかった。
自ら深い沼に潜り込むように代表の試合の現地観戦はもちろんのこと、大学バレーにも、Vリーグにも可能な限り足を運ぶようになりました。
そう本格的なバレー沼人生が始まったきっかけとなる大会でした。

とはいえ、まだ男子は強いとはいえないチームでした。
いわばダイヤモンドの原石で。
どんな輝き方をするのか、イメージすら湧きませんでした。



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