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Decade -4-

2019年。
羽生くんは4Aが跳べたら現役を辞めるんだろうなと漠然と考え始めたこの頃。彼の予定も私の予定もパンデミックで狂うことは全く予定はしていなかったですし、2020年の東京オリンピックに向けて準備を始めなきゃとも考えていました。

日本開催だったワールドカップで龍神NIPPONが8勝3敗で4位という成績で試合を終えた時、このチームがもうちょっと何かを加えたらオリンピックのメダルに手が届くんじゃないかなんて淡い期待を抱いたのもこの年のこと。
福岡、広島で9試合を見るという贅沢な時間を過ごしました。
カナダ戦の西田くんのとんでもない連続サービスエースの時の会場の雰囲気は今も鮮明に思い出せます。このままいい雰囲気でオリンピックイヤーを迎えてほしいと思っていました。

だからこそこのチームの中心の一人である石川祐希さんの進化を目の当たりにしたいとこのシーズンは2回のイタリア行きを決めました。1回はフィギュアの大会でトリノに行くついでにアウェイの試合を見に行き、年が明けて2月に祐希さんの試合2試合と柳田さんの試合1試合をみる予定でヴェローナ→ベルリン→パドバへ。


このパドバ行きの後、3年も日本に閉じ込められるとは思いませんでした。
その兆しはこのパドバ行きの時にはすでにあって、街で中国人と間違えられて避けられることもありました。

前後しますが、2020年の年初に会社のイベントでアメリカに行くことになり、私は久しぶりに春高を現場で見ることができないという残念な状況を迎えていました。決勝で活躍する高橋藍という選手を見て春からの大学リーグが楽しみだな、くらいにしか思わなかったのも画面越しに見たせいだったのかも知れません。

3月にはフィギュアの世界選手権でカナダへ行くつもりが鎖国状態になり、チケット、ホテル、フライトの全てをキャンセルしました。そこからはチケットの払い戻し祭が始まり、アイスショー(フィギュア)、オリンピックのテストマッチ、VNL、そしてオリンピックも延期されるという想像もしない世界がやってきました。

パンデミックはたくさんの人の人生を変えたのだと今でも思っています。羽生さんの人生の予定には北京オリンピックは入っていなかったと思いますが、試合がなくなったことで公式戦で4Aを決められる場所がどんどん減ったことでその選択を視野に入れる必要が出てきたのでしょう。

反面、男子バレーボールチームは2021年のオリンピックの年に石川祐希さん以外の全てのOHを2019年のWCメンバーから入れ替えるというドラスティックな戦略を取ることになりました。東京オリンピックでも結果を出し、インターバルが3年しかないパリオリンピックのために何を選ぶかという難しい選択だったんだろうと思っています。

閉じ込められた日々で学んだことは今を大事にするということでした。
未来は何が起こるかわからない。
やりたいことが今できるなら後回しにしてはいけないのだと。



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