15日目、ラスボス母。

ほんまに人が変わったと思う。
わたし。
怖いものが無くなった。
大きな変化の一つ、母。

母に対して、ずっと引け目があった。
セクシャルマイノリティという存在である自分が
存在することは、テレビでキスシーンがうつると
だまったり、チャンネルを変えてしまう母にとって
どんだけ負担だっただろうか、と思ってきた。

私の存在=恥

とすらおもっていた。
母のはずかしいことが私という形をしていると思うことは
瞬時に殺したくなる存在だった。

母に兄が結婚相談所を退所したことを伝えた。
そしたら母は「自分で決めたことやからな!」と
笑いながら言った。

多分わたしは腹が立ったのかもしれない。
そして、立ち上がってしまった。

「もう本当の話しかしたくない。」
「お兄ちゃんに、お母さんはお兄ちゃんが結婚して欲しかったって絶対言わないでほしい」

と、いった。
「お兄ちゃんがうまく話せないのは親のせいだ」ともいった。

これは流石に言いすぎた。
母は泣き出してしまった。

「しつこい」
「言わない」

というので、

行動にも出さないでね、といったら
「そんなのどうしたらいいの!」といわれる。

そりゃそうだ。

「価値観の話をしよう。そしたら、行動はかわるよ」
「そんな難しい話したくない。つかれた!手が疲れた!」

こどものような口調の母。

今日はもうだめかな。



母は絶対言われたくない言葉がある
「あなたの子育ては間違っていた」
これをいわれたくなくてずーっとがんばってた。

だからこの手の話をしようとすると
「もっと楽しい話をしよう」と話を逸らす

でも、兄が人を信じられないのも
コミュニケーションをとれないのも
20歳超えて彼がなまぐさなのもあるけど
彼だけのせいではないこと、
わたしは言わずにはいられなかった。


やっぱり腹が立ってたのかな。


兄が引きこもった時、
何ヶ月か実家に通って、私と兄が話し合った末、
兄が引きこもりを辞めたことがある。
そのときのことを両親は感謝してくれたが、
わたしはあれは両親がやるべきことで、
しゃしゃり出てしまった残念さを
ずっとひきずっていた。

自分の達成感のために、やってしまったが、
本来はやるべき人にまかせるべきだった。

母が頑なにみたくないもの、それは、
自分の行動の結果である。
痛みもあるし、喜びもある。
喜びしか見たくないとはっきりいう。

それでいいか、としてあげられたら
人としていいのかもしれないができなかった。

やっぱりわたしは意地悪なんだろうか。
母を恨んでいるのだろうか?

母は水曜の面会に来てくれないかもしれない。
まだ泣いてるかな。
それとも怒ってるかな。

切れた電話の先を想像してみる。

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