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<からっぽだから、なんでもはいる>

私はなるべく前向きに、より良い方向に、ハッピーに、とずっと思ってきて、コミュニケーションにおいても普段はそのように思っていますが、
「そのまま聴く」にであってから、「そういう思惑を全くなくして人と向き合ったらどうなるか」ということにもすごく興味を持っています。
というか、ひき込まれています。

耳を澄まして聴くことの働きを見るワークショップ「澄まし処(すましか)」で探求する、
”思惑を持たずただ聴く聴き手”と、特にテーマを持たない”語り手”が
つくりだす場はとても奥深くて
逐語記録を読みとくたびに心がうたれます。

テーマを設定せず、「どうぞご自由に」と始まる時間だから
語り手はなんでも話せる。
聴き手が思惑を持たず、からっぽでいるから、
語り手は二人の間にいろんなものを映し出すことができる。

そんなことを見つめると
普段やっている「よりよくしようとする動き」についても
見方が変わってくるように思います。

          (2014年10月4日に書いたことをもとに)

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