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分からないからロマンなんだけど

古墳に埋葬される被葬者。
玄室、前室、羨道で構成されるものがある。
これは横穴式タイプ。

特定の人物だけではなく塞いだ壁を動かし何度もそこを使用したような痕跡があったりするとか。
(・ω<) ?

時代の変遷、地域の特性でそこに暮らす人の慣習は変わる。受け継がれ方も変わる?

死生観

古墳時代・弥生時代・縄文時代と遡る時に考えられるのは前の慣習を引き継ぐという認識だと思うけど、そもそも一万年続いた縄文時代だけでも数百年続いた弥生と古墳の両時代は数十回繰り返される。
縄文時代の初期と晩期では死生観は変化するのは必然だろう。
 「弔い方」の変化。「弔いの形式の格差」は被葬者の職責の軽重に合わせる。
忌むべきもの、哀しむべきもの、自然に還り再生に繋げるもの(甦る、蘇る思想)

ベンガラ、朱の成分を神秘の法と捉え儀式に取り入れる。その思想の根底が何なのか。
赤という色の持つ神秘性そのものが送り出す近親者の被葬者への気持ちの表現として「装飾する」という衝動に向かわせるのか。

弥生時代から古墳時代。
縄文時代から弥生時代。

弥生時代を知るためには古墳時代の遺物を知れば何となく解明されるものと考えられる。

縄文時代を知るためには弥生時代の遺物を知れば何となく解明が進むと思った。

土器や埴輪や大刀や勾玉や銅鏡や銅鐸の副葬品で年代の鑑定も平易に付けられる。埋葬される形状が円墳や後円墳などもそう。

しかし、この墳墓が繰り返し埋葬の儀式を行った形跡があるという。

何の儀式だろう?

被葬者が眠りについたあとに一定の経過の後に再び誰かの儀式を執り行う。それを繰り返すという事は何を意味しているのだろう?

地域性や家族単位の小グループの弔い方が横穴式の墳墓という規模で現れただけなのか。
これは、現在の遺骨を埋葬する形の原型を意味するものなのか。
だとすれば、そのように一応気持ちを落ち着かせられる。

ただ、これは古墳時代から現代に向かう方向性に一定の見当がついたのみで “弥生時代の慣習がこうだった” という関連には向かわない。

弥生時代の埋葬文化がおぼろげな形で見えているのはあるが副葬品を見比べても未だ確証と認められるものはない。想像の域を越えられずにいる。

縄文時代の被葬者、儀式などの観点で死生観が見えるものがないか探してみよう。

ロマン。 霧を掴む、霧を払う、なんともスッキリしない作業が続く。
見えない。分からない。
それがロマン。と言ってしまえばそうなんだね~。
いやはや( ̄▽ ̄;)
(*ˊ˘ˋ*)。♪:*° 缶

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