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うつ病限界家庭大学生が朝比奈まふゆに出会った


プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat.初音ミク、朝比奈まふゆ周りのストーリーなどのネタバレがあります。ご注意ください。




私が朝比奈まふゆ(以下 まふゆたそ)という女の子と出会ったのは、気の強い母親となんとか付けていた折り合いが不意に爆発して親戚の家に逃亡していた時だった。

逃亡して、ようやく救われたと思った。初めて自分の気持ちみたいなものを優先できたと思った。
親戚経由で母親と交渉し、親戚の家から大学に通うことや、学費はこれまで通り奨学金と自分のバイト代で賄うことなどを確認した。春休み中に新しいバイト先も決まり、準備万端だった。

しかし、春学期が始まってすぐ私は起きられなくなった。

本当にベッドから動けなくなるんだ……と感心したほど動けなくなり、毎秒毎分毎時間ずっと、自己嫌悪の波に襲われるようになった。 

前に、ペットボトルに自分の尿を入れて不法投棄した人がニュースになっていたけど(その人は水道代未払いなどの問題だったのかもしれないが)、許されるならベッドの上で用を済ませたい気持ちだった。



すると、ここまで生きていく中で抱いていた希望や未来図はすぐに消えた。ものすごく早かった。十年かけて築いた信頼は一度壊れると直すまでに二十年かかるみたいな話もあるけど、まさにそれだった。落ちるのはすごくあっという間だった。

子供が好きで、人に教科の楽しさを伝えたいと志した教職課程は、電話越しに人と話せなくなって辞退した。

続けてアルバイトも辞した。週四で働けていた頃が嘘のように身体も精神もへとへとだった。けれど、反抗されて勝手に家出された上に学費まで払わされる親のことを考えると、申し訳なさでどうにかなりそうだった。
『自分の学費を自分で稼ぐ』という行為に支えられていたささやかな自己肯定感が崩壊した絶望も今だに覚えている。

私の通う大学は教職課程の単位が卒業要件に入らない。なので、一、二年で教職過程単位を多く取得する計画を立てていた自分には絶望的な量の卒業単位が残ることがほとんど確定していた。

家やうつ病のことで冷静さを失い、寄りかかりすぎてしまったがゆえだろう、友達とは徐々に連絡がつかなくなり、春学期が終わる頃には既読がつかなくなった。一応、保育園からの長い付き合いだった。

出かけもせず親戚の家でぼうっとする私を親戚は何度も叱責した。薬飲むから鬱になるだけ、あんな病院はインチキ、親に学費を払ってもらっている身分で怠けて寝るな。それを聞きながら、本当に全部インチキだったらよかったのにと何百回も私は思った。

ここを出て大学も辞めて、風俗で働こう。それで一人暮らしをしよう。自分だけの部屋を持とう。そう思って何度も平成初期のモバイルサイトをさまよった。結局、応募もできなかった。こんなに辛いのに、それでもどうしても身体を売ることが怖かった。自分はそういう商売に耐えられる精神を持っていないとわかっていた。

Twitterの友達に勧められて、学内のカウンセリングは受けていたが、ひたすら泣くだけで終わる40分間ばかりだった。こんなに簡単に人生が崩れるなんて思ってもみなくて、正直受け入れ切れていなかった。

とはいえ自立した大人から見たら、別段絶望するほどのことでもないと感じるかもしれない。それどころか三食ご飯が出てきて、あったかいお布団があって、学費まで払ってもらっている、裕福で快適な学生に見えるとも思う。実際私もそう思った。

そう思っていたからこそ自分が許せなかった。



夏休みに入った。抜け殻のようだった。怠けた姿を見せると叱られて余計に辛いから、表面上は明るくおどけた人間のままでいた。
テレビを見て笑って、お腹は空いていないけどご飯を詰め込んで、シャワーを浴びて、親戚が寝静まったあと、唯一、一人になれる洗面所に閉じこもって唇を噛み締めながら毎晩啜り泣いた。膝を抱えていかにもな感じで泣いていると、頭の中で『悲劇のヒロインぶっている』という母親の言葉が響くから、余計に嫌になって、永遠ループ。

その頃、カウンセラーに手の運動を勧められた。専門的なことはあまりわからないのだが、手から得る刺激はストレス緩和になるらしい。もちもちしたクッションとかがいいよ!と言われた。
私も、とにかく考え続けてしまう頭をどうにかしたかったので、何か集中できるものを探していた。そこで目についたのが、みんな大好き『プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat.初音ミク』だった。

通称『プロセカ』の存在は大学生になる前から一応知っていた。ただ、音ゲーに縁がなくあまり心惹かれないままここまで来ていた。
音ゲーなら結構頭を使うし、手も疲れるし、いいかも。そう思って、早速ダウンロードした。

結果としてこの試みは正解だった。(今もお世話になってる!) 頓服を飲んでも思考が止まらない時、希死念慮で前後不覚な時、とにかくプロセカを起動するようになった。下手くそなりに上達するのが嬉しくて、昔から大好きだったボーカロイドの曲を聴けるのも癒された。ちょっとずつキャラクターの方にも興味が出て、ストーリーも読むようになった。 

そこで朝比奈まふゆに出会った。



まふゆたそはめっちゃかわいい。

163cm(進級前)と背が高めでスタイルが良く、3Dモデルで胸部を凝視してしまうプレイヤーは多かろう。少し癖っ毛な藍色の髪をポニーテールにまとめていて、私服はシャツにジーンズなどシンプルでカッコいい。低めのハスキーボイスで、柔らかさと冷淡さの入り混じる綺麗な声。なのに笑顔はキュート系で、小首を傾げて笑ってくれる。

性格はやはり非の打ちどころのない優等生で、クラスメイトや教師にも頼られっぱなし。家は綺麗で母親は優しく、好物のシチューをよく作ってくれる。『24時、ナイトコードで。(まふゆたそ達が組んでいる音楽グループのこと。以下ニーゴと略す。)』での音楽活動も完璧。それどころかソロで曲を作ってバズってしまう始末。とんでもないポテンシャルの持ち主。のびしろしかない。それがまふゆたそ。

プロセカでは『セカイ』という、誰かの想いでできた架空空間が存在する。セカイは想いのカタチに左右され、そこに登場するバーチャルシンガーたち……いわゆる初音ミクや巡音ルカなどもセカイによって姿も性格も違ってくる。

このセカイには『untitled』という曲をスマホやパソコンで再生することで入ることができ、様々なユニットがそれぞれの世界で出会い、現実世界でも物語が進んでいく。


そしてまふゆたその所属するニーゴのメンバーも、突然連絡の取れなくなったまふゆたその手がかりを探しているうちにセカイの存在に気づく。セカイに行くと、お人形さんのような白い初音ミクとまふゆたそ(ハイライトなし)が居た。
(感のいいオタクは気づくだろうが、まふゆたそはハイライトがない状態が割と基本になる。)

なんだか様子のおかしいまふゆたそに対し、みんなで帰ろうとおずおず説得する。
しかし、まふゆたそはニーゴのメンバーの前で「消えたい」と呟き、帰ってほしいと言う。その声や顔にいつもの人当たりの良さはなく、無だった。

実は、まふゆたそは過干渉な母親による監視や言動の制限、強制的な勉強の日々を何年も積み重ねたことで心が壊れかけており、その壊れっぷりは好物のシチューを食べても「味がわからない」と本人が気づく場面でもありありと表現されている。
母親にも音楽をやめることを望まれているまふゆたそは「自分がこのまま生きている理由がない」とセカイに閉じこもることで精神的な自殺を図ろうとしていたのだった。

そんなまふゆたそをもちろん放っておくわけにはいかない。しかし抵抗するまふゆと向き合うことで、自分の傷にも向き合うことになる──それが『24時、ナイトコードで。』のメインストーリーのあらすじとなる。

ここまで読んでくれた活字大好きマンのみんなは多分このnoteの主題に察しがついていると思うが、そうなのである。語弊を恐れず言うと、「朝比奈まふゆ、イッチじゃん。」なのである。


まふゆたそは母親と共依存関係にあり、母親の言うことを聞き続けるマリオネットでもある。母親が絶対的正義であり、反抗という選択肢すら与えられず育っている。  

プライバシーも皆無で、勝手にパソコンを覗いたりまふゆたその大事なシンセサイザーを捨てたりもする。だけどまふゆたそにとっては生まれてからずっと母親が絶対的正義であるため、それを結局受け入れる。それゆえ、自分の本当の想いがわからず、感情もわからない。

だけどそんなまふゆたそも時折、訳のわからない苦しさを感じるシーンが多く差し込まれる。

それが爆発した場面が去年のストーリーで語られた。まふゆたそは最終的にニーゴのメンバーの家に家出するのだが、その距離の取り方や息が詰まる罪悪感も、何もかもで自分のことを思い出してしまい、イベント曲の『演劇』を聞いて決壊した。



『間違ったまま 生きてきたんだ
今更首輪を外されたって 一体何処へ行けばいいの』

(引用元  @wiki  初音ミクwiki 演劇 https://w.atwiki.jp/hmiku/pages/53360.html 閲覧日 2024/5/16 )



このストーリーを読んで、朝比奈まふゆを知ったプレイヤーはきっと、彼女の苦しみや悲しみを知るだろう。

まふゆたそはご飯を抜かれることももなく、殴られたり蹴られたりすることもなく、両親に愛されて育てられた。それは恐らく間違いない。しかしまふゆたその精神はどうだろうか?
選択肢を与えず、反抗を許さず、ひたすら良い子を押し付ける母。それは24時間、365日、欠かすことなく、続いている。
疲弊しきって、自分の気持ちさえわからないまふゆたそは、唯一苦しみを抱えている。言葉にできないけど、息が詰まるような苦しみ。それをどうにもできなくて、まふゆたそはこんなに辛いならいっそ……と「想いを殺そうとしている」。

おかしい。やばすぎ。虐待だ。毒親だ。そんなの辛い。助けたい。笑ってほしい。幸せになってほしい。そんな感想がユーザーから上がっているのを見た。その時、私は救われたと思った。



殴られたら傷ができる。食べさせなければ身体がガリガリになる。でも長年圧迫された精神がどうなっているのか、それは目に見えない。 

両親の仲が悪く、父とばかり遊ぶと母に冷たくされることが嫌で、家庭内での立ち位置を見極めるためにずっと神経を張り詰めていた幼年期の私。

母親の数時間にわたる説教と翌日まで続く不機嫌が恐ろしくて、機嫌を損ねないことだけで頭がいっぱいだった小学生の頃の私。

仲の悪い祖母と母の間を取り持ちながら、彼氏ができたという母の秘密も抱えながら、どうしてか大声で叫んで逃げ出したくなった中学生の頃の私。

父に生命保険の受取人を弟だけにされていたことを知ったり、浮かれた親の再婚 or not再婚のデスゲームの相談を受けて初めて自分の幸せってなんだろうと思い始めた高校生の頃の私。

大学生になっても親に意見一つ言えず、反対されるとすぐ足がすくむ弱虫っぷりを叱られ、目上の人に意見が言えないことも叱られる情けない私。

出先で欲しいものがあっても「私には勿体無い」と買えず、大学で小腹が減っても喉が渇いても「お金がなくなるから」と家に着くまで我慢して、毎月学費の口座(時折り家の口座)にお金を入れて、半分だけ残るお小遣いでやりくりして、誕生日や記念日には親にたくさんのプレゼントを送り、クリスマスにはサンタさんになってたくさんのお酒を枕元に置いて、自分のスペースにはベッドと鏡と小さな本棚しかない生活を送る私。

必死に自分が好きじゃなくて辛いと泣いた日も「考えすぎ」と一蹴された私。


けれどそのまふゆへのコメントを見た時、私の不和を、苦しみを、私の辛さを、あの時の私を、自分で少し認められた気がした。

それは苦しみではないと思っていた。当たり前に皆が享受して乗り越えていくものだと思っていた。
母子家庭だけどウチは周りが良くしてくれるから幸せだね
そう何度も聞かれ、うん!と無邪気に答えた。本当にその時は、幸せだと思っていた。

だけどみんなは『朝比奈まふゆを救いたい』という文言をユーザー名にするほど覚悟と感が極まっている。それを見て、本当に、このストーリーとキャラクターが世に出たことへの感謝が溢れて、涙が止まらなかった。


精神よりも身体を重視する社会において、虐待の線引きは難しい。そして居場所の確保も難しい。子供は親の所有物であり、親が使ってしまえば親に預けたお年玉も不思議なマジックで消えてしまう。そんな子供の権利の小さな国の、音ゲーで、朝比奈まふゆは身を持ってその権利がずたずたに引き裂かれるとどうなるのかを見せてくれている。

まふゆが家出に成功した後の描写も酷い。母親への罪悪感と見えかけてきた自分の気持ちとのせめぎ合いで苦悩するまふゆたそ、全く同じ思考回路すぎて見てられん。カウンセリング行こ。というか病院行こ。一緒にがんばろ。  
 


最後に私の進路の話を少しだけさせてほしい。散々悩んだのだが、カウンセラーと話し合った末、私は今、「留年しても大学を卒業する」という方向に決めて進んでいる。うつ病も身体の疲労感や怠さは徐々に治りつつあり、毎朝起きてご飯を食べる……まではできるようになった。先日はスタンディングのライブにも行けた。その夜はちょっぴり泣いた。
同世代からは遅れた就活になるから、不安しかないけど、そこはもう押し切って行こうと思っている。
別に思考が治った訳ではない。今この時も六割くらいは死にたい。カウンセリングで思考の癖を知り、治していくというのは気が遠くなるほどの作業らしい。私もかれこれ二年ほどの付き合いになって、明らかに改善した部分も多いので地道にやるしかないのだと思う。
精神特効薬と、考えすぎることを直す薬があればいいのにね。カウンセラーには「ここまで一生懸命生き抜くのに必要だっただけで、嫌う必要はない」と言われたけどそうもいかない日の方が多い。

頭取りたい。哲学的ゾンビになりたい。こんな世界壊れちゃえばいい。でもまふゆたそのこともっと見守りたい。だから生きてる。 生きてしまっている。
それが幸せなことなのかはわからないから「演劇」の歌詞に倣って祈ることとする。  
どうか苦しんでいるみんなも私も、穏やかになれますように。


おまけ

先日放送されたサカナクション山口一郎のドキュメンタリー内でも感じたが、精神疾患への教育自体が全般的に足りていないという世の中で、突然身近な人がうつ病になったら……「言っちゃ言えないけどいつまで休んでんだよってね」といったメンバーの言葉は赤裸々で凄く良かった。とても勇気のいるシーンだったと思う。
結局「うつ病から復活したぜ〜〜!」な明るい感じで終わったドキュメンタリー。社会が何を求めているのかがありありと映し出されているようで嫌だった。 

うつ病はがんと一緒で完治はない。まふゆたそにはそうなる前に救われてほしいと切に願いながら限定まふゆたその為にお布施をぶっ込んでいる。えーりん早く来て。


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