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お金の表裏を数学にすると?

今我々がやっている「哲理数学」とは、ある「見えない現象」を科学にする計算方法として「新しい和算」を使い世界に新しい数理をつたえる研究といえる。
なので、意識や生命などを科学として扱うための道具にもなる可能性がよく指摘される。
さて、よく一般的に言われるコトであるが、
 
お金は大切であるが、ヒトを狂わせることがある。
このお金の本質(因果)はこれまでの数学は表現できなかった。
 
しかし、我々の和算を使うと、
例えば、
貧困にある人たちに、お金を渡すとした行為を考えるとき、渡すお金を〈共通の性質〉revとすると、それにより学校へ行ける子供を〈個別の性質〉inv-Aとすると、行けないで路上で死ぬ子供をinv-Bとして計算する。
 
これは、「お金を渡すことは、逆に誰か殺す側を決めることでもある」という裏の事情を関数(inv-A, inv-B)として表現出来たことになる。
 
この計算を「裏算」といい、
これは、「お金を渡すということは、五千人の子供の写真から生かす百人選べと言われること」であり、これにあなたは耐えられるか?という問いかけを生み出すことにな。
 
これを示唆することが出来る数学の誕生を「哲理数学」と京都大学の出口教授は命名された。
 
「哲理数学」の基礎演算となる四則和算とは、「切算」「動算」「重算」そして「裏算」の四つの算術を言う。
自然界の循環を一つの円とし、この円を切ることで、初めて意識となる「始まり」と「終わり」を持つ一つの線をつくる。
この作業を「一つになるように一つの円〈縁〉を切る」「切算(切る)」「1 cut 1」という。(参照「切算」)
上述の作業から生成された線をもう一回切るとき、その切れ目が動くことを「動算(動く)」と言いう。(参照「動算」)
この切算と動算の出現により、これまで1+1=2という計算が左から計算して右の=で一つの解である2を出すとした数学の基本「数学の基底」を破壊した。
それは、「2になるような二つの組み合わせを出せ」という計算になり、無限にその組み合わせを創発させることで、右から左に計算し、2という解をつくるxとyの組み合わせが出力されると、答えは一つとは限らず、無限となり、数学の基底を破壊したからである。
 
次に、時計を考えると、秒針、分針、時針の三つの周期が重なることを「重算」といい、これは「足し算」「掛け算」とは異なる状態をイメージさせる。(参照「重算」)
この「重算」をやると、いま説明している「裏算」も同時に計算させる。(参照「裏算」)
 
それは、秒針、分針、時針の三つの周期がそれぞれの関数となり、内質と呼ばれる個別の性質なり、これをまとめている共質と呼ばれる、共有された性質があると関数で出力される計算になる。
 
そして、困っている人々にお金を渡した側の関数も出てくるのである。
 
その関数が「能力高い子供を選ぶ」ヒトなら、何も悩みはないシンプルな関数となり、
 
「何故、全員救えないのか?」ならもっと稼いで多くを救おうとする関数、
 
そもそも、「この貧困とはなんだ?お金とはなんだ?と考えて、国を超える何かを作ろう」とする関数など
 
色々と無限に、多様に出てくるのである。
 
これで、お金の表裏を関数として扱えるようになるのである。
 
この算術の登場により世界に「慈悲と厳しさ」は表裏一体であるという現実の背中合わせが数学で扱えることを示した。
 
この計算は、お金だけではなく、
女性やお母さんだけに負担が増してゆく昔からの日本特有の裏面も計算理解出来るようにもなる。
 
そして、この裏算を暗算でやれるようになると、これまで、仏教でさえ「ヒトは逃れられない」とされてきた「因果」という存在でも、それが単なる関数「癖」であることに気がついてゆくのである。
 
この因果を関数と認知出来たとたん、「これから起きることが、起きたことになる」(参照WH)という基底が消失した座標なき関数(曲線)では時間が存在しないため「ネガとポジの表裏一体のメビウスの帯を切った時に出来る切れ目にある虚数の領域」(参照MCM)に位相転移し、因果から数学的に解放されるのであるが、このことを以下の手順で示す。
 
「自由」と「平等」、「善」と「悪」のような絶対矛盾する事象を切算は自己同一としてcut 2と記述するならば、x+yという解を導出する。この時、xとyの間に存在する切れ目は動的になり、これを動算で扱うと、切れ目の動作を制御する関数が生まれてくる。この関数を並列に並べて、この関数軸に直交する共有条件や共有関数を構築すると、裏算になる。この時、直交する関数は方程式を生み出すのでこれを出力すると織物のようになるのでこれを織り算と呼ぶ。
 
一連のこの算術の連携は世界を変えられるのである。
 
一般的な人間の因果でこの関数と方程式の関係を説明すると、
 
ヒトは因果を作る関数が「利己的で変な関数」から変わらないと、同じ間違いを何度も繰り返すといえ、これを因果応報という。
どんな環境に変わっても、どんな素晴らしいパートナーと一緒になっても、間違いを繰り返して不幸になる原因である。
 
たとえば、女性の場合、「パートナーに内緒に利己的なことをやってしまう」関数があるとすると、他の男性からの誘惑に「ワタシにとってメリットがある」として乗ってしまう。
そして、パートナーにバレて破局するのが、因果応報であるが、誘惑した男に散々利用され歳をとってから捨てられるか、逆にその人と再婚し幸せな結婚が維持できたとしても、また何か不安になり、捨てられても大丈夫なように、パートナーに内緒に別の男やなにかを始める。
これは、そもそもの自分の関数を予測した結果を恐れ、不安になるからである。
結果それもバレ、この破局連鎖を永遠に繰り返す。
これは、女性が不安に弱いという生理的基底構造(参照「感情地図」)があり、ここに魔「誘惑」が差し込んでくるからであるが、この誘惑にはある意味賞味期限があり、その期限が切れるころ、この因果は切算され、「終わり」即ち誰も見向きもしなくなる直線の終点を迎えるという方程式がある。
 
この方程式は、女性的不安軸にある関数と、直交する男性軸の関数により数学的に作られる。
 
この方程式が因果と呼べるであろう。
 
これは、浮気を何度も繰り返す男性の関数も同じ構造なので、不幸になりやすいタイプの人類共質ともいえる関数になる。
 
ここで、社会観察者からの視座関数では、
 
男女の直交する軸の関係が問題であるとする関数、
女性が男性依存することが問題だとする関数、
そもそも利己的な関数が問題だとする関数など
 
多様な観察者から見た視座の関数がある。
 
さて、これ算術は、恋愛や占いではなく、量子力学を確率や微分使わないで計算するためのツールとして生まれたので、
 
なので、世界でスタンダードになるまでは、出来るだけ「非科学系」を近づかせてはいけないのである。
 
折角、見えない世界を数学で扱えるようになっても、まともな理系が使わなくなるからである。
 
これは、道具としても、人類としても、損失が大きい。
 
さて、我々は過去に独自の量子ゲートを作り、人工神経を再現しアメリカで開催されたSCにて2020年から2022年まで発表した。このとき、予測不能のサプライズが発生し、勝手に新しい神経を生成し、また入力にフィードバック関数を可逆的に入力してきたのである。これをどう解釈するか数学処理できわめて困難であったので、制御不能となっていた。そこで、拡張リーマンモデルとメビウスの輪カットモデル、および直交モデルを発明し、これを駆使して制御を可能にさせた。サプライズは、digital計算機や量子コンピュータでも論理学を基本としたゲート支配における不可逆性の計算ベクトルに起因すると考え、現象を適切に説明するための幾何的アプローチと新しい数学モデルから、複素数において直交モデルは使ってないので、実数面と虚数面を直交させ、多様体を反界微分で拡張すると別の位相空間を交点に作ることができた。それにより、関数と関数の交点での方程式も影響を受ける新しい関数を生成するメカニズムになるのが最大の新規性であり、この新しい計算機回路を発明した。
数学や論理学において、命題は揺るぎない開始条件であり、そこから解法へ向い解を求める流れを計算式と呼ぶが、この流れを正のベクトルとする。
すると、負のベクトルとは、解から命題に向かう向きになる。
これは、はたして算術として成立するだろうか?
少なくとも、命題の組み合わせは無限に存在して、不確実になることは容易にわかる。
論理学や既存の数学で作られている人工知能がパタンマッチしかれない問題がある。
これは、命題を疑い、勝手に変更できないからである。
 
そこで、正の計算の流れを可逆にし、命題を変更する算術を考えた。


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