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受験体験記①僕がずっと志門塾に行きたかったのは事実だが、半分は間違っている。僕は長森校に行きたかったんだ。

午前九時〇分〇〇秒。僕は母と岐阜高校のプロムナードにいた。合格発表の場所だ。はり出された紙を見て、目を疑った。親のところに行って、こう言った。「あるんだけど。」親は涙を流した。一緒に見ていたライバルでもあり長森校の仲間でもあるF君も、とても喜んでいた。僕はまだ分かっていなかった。これは夢ではないのか。本当は僕の受験番号三〇五ではなく三五、あるいは三一五があって自分は不合格なのではないのか。僕の疑問は消えなかった。だがただ一つ三〇五が合格しているのは確かな事実だった。親に受験票を見せてもらった。うん、三〇五だ。その時、やっとこの状況が理解できた。僕は岐阜高校に合格したのだ。よかった…。ただそれだけ。本当にうれしかった。
 僕が志門塾、というより長森校に入ったのは中三の始まる1ヶ月前の春休みだった。僕がずっと志門塾に行きたかったのは事実だが、半分は間違っている。僕は長森校に行きたかったんだ。これが真実。理由は「皆が熱いから」。僕は中1の冬に、あるきっかけで岐高を目指し始めた。その時の自分は体調が優れないことが多く、よく内科に行っていた。そこで医者に憧れを抱き、「医者になるには…」と辿って行った先が岐阜高校だったのだ。中三になる少し前、親に長森校に行きたいと言った。金銭的なこともあり、またスパルタと言うイメージも重なって、親は悩んでるように見えた。しかし僕が行きたいと言ったら許してくれた。長森校に入ることが決まった。そこでの日々は楽しかった。勉強ばかりなのにだ。質問対応も丁寧にやってくださり、先生方には本当に感謝している。でも一番感謝しているのは「仲間に」なのだろう。今この体験記を書いている間も長森校生活が終わると思うととても寂しい。悲しい。でも、嫌でも皆それぞれの道を進んでいくのだから、僕も前を向こうと思う。そして、こんなにすがすがしい気持ちにしてくれた「長森校の、この校舎」にも感謝だ。ありがとう。
 最後に受験生の皆さんにメッセージ。
 自分自身、中一、中二と比べると自分の伸びが少しはあったのだと感じた。受験などしたくないと感じていたのに。しかし受験を通して学ぶことが多いのも事実だ。その一つ一つは人生の糧となるだろう。だから走り抜けてほしい。くじけても立ち上がれる人になってほしい。そして僕がこの一年を通して学んだことを分かってほしい。「志を持てば、必ずできる」。きっと昨日できたのに今日できない問題にも一度は出会うだろうし、親に何故か反発してしまうこともあるだろう。でもそれでいいのだ。自分自身の何かが変化し始めているのだから。ビビらず、落ち着いて、努力することが大事。後から悔やんでも仕方がない。仲間や親、先生からパワーをもらって頑張れ。中一のときは「行けるはずがない」と言われていた俺だって、岐高に行けた。自信がなくなっときは自分の志が弱いのかもしれない。前向きに行こう。ネガティブだって、悪いことじゃないよ。自分の性格に自信を持って、長所を精一杯発揮した一年にしてほしい。「志を持てば、必ずできる」。岐高合格で手に入れた自分の武器だ。本当によい一年だった。
 親友で共に合格したF君、校舎長の尾関先生、僕をサポートしてくださった長森校の先生方全員、長森校の仲間たち、そして一番近くでサポートしてくれた両親。「皆でつかんだ合格」。誰か一人でも欠けたら叶わなかったことだろう。皆に感謝しかない。
 思い出に鮮明に残りすぎるぐらい、濃い一年間。合格しても泣かなかったのに、長森校生活が終わると思うと泣けてくる。本当にありがとう。

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