見出し画像

激流の情報社会に必要な動体視力

昔スノーボードが日本でトップクラスで上手だった時、ゲレンデじゃないところを滑っていて、地面そのものが動いたことがある。

そう。足の下で雪崩が起きたのだ。

その時は体力も動体視力もそしてテクニックもそれなりに備えていたので、その雪崩の中を無事滑りきり、少し小高いところまで勢いよく登りきり、その雪崩に巻き込まれずに済んだ。

その時一緒に滑っていた数人ももちろんプロで、ワタシより体力もテクニックもある男性ばかりだったので、全員がワタシを心配してくれたけど、

ワタシがコーフンして、鼻息荒く、すごかったねぇ!すごい体験だったよねぇ!いやむしろキモチよかった!などと叫んでいるのを見て、安心感と他のいろんな感情が混ざって、全員で大笑いした。

雪崩の上を滑るのは今から考えたら、サーフィンに似ているのかなぁ、などと思ったりもするけど、
あの時、雪崩だと悟った瞬間、ターンを減らしてスピードを上げながら、
もし、雪崩に巻き込まれたら太陽に向かって泳げ。と誰かに教えられた言葉を頭の中で繰り返していた。

ワタシは、あの全身の神経が研ぎ澄まされる感覚がきっと好きなんだと思う。

先日、7月の頭にTwitterで流れたポテトサラダについての誰かのツイートがえらくバズって、それがテレビでも取り上げられたらしい。

スクリーンショット 2020-07-17 19.57.20

うちにはココ10年テレビがないので、テレビを見ない生活にもう慣れているのだけど、60代の女性から、

「あゆちゃんテレビ見ないから知らないと思って、ポテトサラダのね、、、」と始まったので、
「あ、2パック買ったってやつね。」と応えたら、驚いているようだった。

で、言われたのが、ひゃ。なんで知ってるの〜???
だった。

情報は鮮度が重要だし、当然、川でも上流の方が流れが早くて、下流になればなるほどゴミも流れているけど、流れはゆったりとしている。

ワタシがこの支流の上流が心地いいと感じるらしいことは、ココ10~20年の自分の人生を見ると自明なんだけど、自分の情報の激流から何かを読み取る動体視力のなさに嘆くことが最近多い。

あの雪崩の上を滑った時のような動体視力と体力とセンスが鈍くなったのは年齢のせいかもしれないし、実際はワタシが思っている以上にきっと時代や情報の流れは早い。

多分、「もっと早いだろう」という、その感覚より実はもっと早いのだろう。
あとは、多分、東京という日本で一番流れが早いところにワタシは住んでいる。

そろそろ、人生何度目かの、自分の価値の棚卸しの時期が近づいているなぁと思い始めている。

前は出来たことが出来なくなる。
前出来なかったことが出来るようになる。

多分この2つは死ぬまで誰の人生にも起きるはずなんだけど、
この出来たことが出来なくなる、に執着すると、目の前の幸せに気づけなくなることが多いことを経験上知っているので、

その前に価値と幸せのバランスを取る必要がある。
車を乗り換える、そんな感じの感覚。

そんなことを考え始めたのが、ここ1週間。
今年の夏はそんなワタシのモデルチェンジの夏になりそうだなって。

新しく、なんか生まれ変わる気がしていて、少し怖いけど少し楽しみなそんな気分。



励みになります。個別にお礼のメッセージさせていただきます。