形から形までを堪能するタイプ

 何かを始めるときには、ちゃんとしたい、と思う癖がある。
 とことんまでやりたい、とは少し違った感情である。

 ボウリングに凝っていた時期がある。大学生の時にプチボウリングブームが起こりかけけていて、千円ほどで投げ放題の企画をやっていたので当時の仲間とボウリングにはまったのだけれど、特に夢中になったのは僕だけだった。

 そうなると行動が早いのが僕の特徴である。すぐにマイシューズやマイボールを揃えて、きちんと競技としてやりたくなってしまうのである。
 基本のフォームや正しいルールやマナーを知りもせず、センスと才能だけで良いスコアを出すことに僕は魅力を感じない。
 それよりもその競技の枠組みをきちんと理解してスマートにやる、ということこそが僕のモチベーションの8割以上を占めるのである。
 因みに、たいていの物事でセンスだの才能だのに溢れている僕ではない。見栄を張ったわけでもない。物の例えとして述べたまでである。絶対に。

 コーヒーに凝った時にはサイフォンかネルドリップかペーパードリップか、それぞれの利点や欠点を本まで買って調べ、道具を一通り買い揃え、挙句の果てには生豆を買ってきて煎るところからやりたくなる始末であった。

 カクテルに興味を持った時もコーヒーのそれとまあ似たようなものである。
 チーズにはまりかけた時も、ダーツにはまりかけた時も、以下同分。

 そしてやるだけやったらシュッとやめるのである。何の未練もなく。あっさりと。
 
 きちんとやる。枠組みを理解する。そういうことが一番の目的であって、趣味のレベルでの僕の一つの生きがい?生き方?そういうものであるから、そのための媒体の一つとして何かしらを持っていれば僕はきっと幸せなのだろう。

 今はきちんとするための媒体がない状態が割と長い期間続いている。
 趣味に割く時間を作りにくかったことも原因しているのだけれど、そろそろまたそんなものをこしらえたい衝動が襲ってくる頃かもしれない。

 その時の幸せを受け止める心の準備を始めておかなければならない。

 


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