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映画、という旅の途中で

さよなら東京、さよなら映画

半年の間、沈黙を守ってきた。
物書きが沈黙する、それは才能が枯渇した、を自覚する時か、はたまた書くべきものが熟成するまで待っているか、はたまた他にやる事があったからか。さらには書く環境にいなかったからか。刑務所にいたとか?残念ながら最後はあてはまらない(笑)。
故郷に戻るための準備で忙しかったからだ。
昨年の初夏、母親を亡くし、本来なら年末までに完全帰省するはずが、そんな時になると不思議といろいろ仕事の話や、人間関係の諸事情が絡みに絡み、仕事の執筆ばかりでこんなフリーの場所で自由に書ける時間がなかったのが真相。特に映画を愛する人間の心の旅の話は、心がよほどリフレッシュしてないと筆さえ進まない。酒の量は進んだが(笑)

どうやら目処がたち、そろそろ本当の意味での旅(故郷へのカムバック、はたまた新天地へのワンウェイチケット)が決まりつつある中、まずはやり残した映画の旅を総括しようかと思い立った次第。半年も留守にすると、どこかカビ臭くなるのは家も文章も同じもので、どこから掃除をするか、あるいは書き始めるのかを考えてみて、ふと気づいた。
「断捨離しなくては」

映画を40年近くも観てくると、最初の瞬間からその映画がどーいう物語の旅を辿って結末に行き着くのかが判ってしまう。感動、という冠がつく映画もどこで泣かすつもりかが判りすぎて素直に楽しめない。もう映画評論家か分析医みたいな気持ち。だからこそ新作で映画を見ても物書きの視点で構成を観てしまい、楽しめなくなった。
『旅は終わった』
行き着くべき所に到着した心境のままでは、この文章さえ書けない。
ならどーするか?
断捨離、である。
だが映画の記憶の断捨離はどーやってするべきなのか?もはや映画を忘れる事など出来やしないわけで、観た、という記憶と記録は消せない。酒を飲みながらボンヤリとそんな事を考えていた中、ふと、もしこの瞬間、私が死ぬとしたら、どんな映画のワンシーンを思い浮かべるだろうか、がポカンと脳裏に浮かんだ。
よくある、死ぬ前に何が食べたい、みたいな類である。

いろいろ考えてみた。少年時代から未だにNo.1のスター、スティーヴ・マックイーンの映画から、永遠のマドンナ、ナスターシャ・キンスキーの映画、はたまたこの世界に入るきっかけとなった「ゴッドファーザー」「ドクトル・ジバゴ」のワンシーン、さらには名作と言われたきら星のような映画の数々まで、酒が入るといろいろと浮かぶ。同席していた元プロデューサーのオジサンの口からは毎回「バルジ大作戦」の話、そして昔の女と観た「ニューシネマ・パラダイス」の話も出る。他の女の子からも、今まで観た映画の感動エピソードが出てくる。ワイワイガヤガヤ、映画好きが集まると彼らにも映画の旅が存在する事がよく分かる。
微笑ましい場所だ。

「やはり『太陽がいっぱい』かな」
私の口から出たのはそれだった。酔いが回っていたからなのか、それとも受け狙いだったのか。だが、私は素直にその映画こそが旅の終わりに観たい映画、だと思った。

煙草を吸わない私が、その仕草を真似した、サインを偽造するために練習するシーン、のアラン・ドロン。金持ちの友達に成り代わろうとする飢えた目をしたドロンの心境、やがて友達を殺し、生きているように見せかけて秘かに思っていた友達の恋人さえ手に入れ、完全犯罪が成功した、と太陽がいっぱいのビーチで悦に浸る傍らに待ち受ける落とし穴。
〈人生とは何か〉
全てを手に入れた、と思った瞬間、その指先からこぼれ落ちていくもの。それは繰り返し映画が我々に教えてくれた人生観。
「黄金」のラストシーン。
「ゴッドファーザー」のマイケル・コルレオーネの人生。
成功とは何か。
人生とは何か。
その究極の答えを思い出す時、私がもし人生で最後に観たい映画は何か、と聞かれたら、
「太陽がいっぱい、だな」

その飲み会から2日、こうして時間が経ってもその気持ちは変わらない。好きな映画はいっぱいある。この映画より何度も繰り返し観た映画もたくさんある。
なのに映画の旅の終わりにふさわしい映画は、私にとってはこれ。

果たして私の東京での人生の中で、太陽がいっぱいだった日々はあったのだろうか?

たくさん恋をした。
たくさん青春を経験した。
そしてたくさんの挫折もした。
喜びも悲しみも、怒りも抱いた。
そして年を取り、実現した作品も、陽の目を見ずに闇に消えた作品や企画も数知れず。果てしない夢のいくつが輝き、そして消えたのだろう。都会での日々は映画との出会いの日々だった。そして今、旅は終わる。

私が愛してやまないテオ・アンゲロプロス「ユリシーズの瞳」のラストシーン、幻の映画を追い求め、やがて映した先には光しかなかった、という感動的なシーン。
夢とは幻、幻とは夢。
成功もまたしかり。
東京を去る時間も近付くなか、私の中ではその旅の幻想が脳裏をちらつく。
そして新天地、はたまた旧天地かもしれない故郷への長い道のりもまた、新しい旅の始まりなのかもしれない。

だがひとまず映画の旅はここで終わりとしよう。
新しい光が、私の心のスクリーンに映し出されるまで。

追記
最近、知り合ったまだ二十歳、だというプロデューサー志望の大学生。元プロデューサーのオジサンに、
『タバコの吸い方がなってない』
と怒られていた。吸い方にもかっこ良さがあるんだぞ!
そんな話の延長に「太陽がいっぱい」のドロンもいるのだが、昔の映画はそれこそカッコいい大人の見本だった。「さらば友よ」のドロンとチャールズ・ブロンソンの煙草での友情シーン、「男たちの挽歌」チョウ・ユンファの吸い方等々。酒の飲み方ならハンフリー・ボガートやジョン・ウェイン、女の口説き方ならケーリー・グラントなど(笑)、映画は教科書でありました🎵
学校では教えてくれない世界を教えてくれる映画。さて、今の時代、それに代わるものがあるのだろうか?
『男がピカピカのキザでいられた』
はジュリー、沢田研二の歌の一節だが、令和の時代になろうと、私はそんな昭和の憧れに染まっていたい!

FAREWELL,MY CINEMA♥️




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