ホモデウス上巻要約(第二部)

第2部 ホモ・サピエンスが世界に意味を与える

第4章 物語の語り手

狼やチンパンジーなどの動物
⇨二重の現実:客観的なものと主観的なものの中で生きる

サピエンス
⇨三重の現実:上記い加えて神々や国家、企業の中で生きる

人間は自分たちが歴史を作ると考える
⇨しかし、人間は虚構の物語のウェブを中心に展開
個々の能力は石器時代から変わらずむしろ衰えたが、
物語のウェブはますます強力になり、それによって歴史を
石器時代からシリコン時代へと推し進めてきた

約1万2000年前に始まった農業革命は共同主観的ネットワークを
拡大・強化するのに必要な物質的基盤を提供した
⇨農耕のお陰で都市の多数の人間や軍隊を養うことができるようになった
⇨集団的神話を維持し、人間の脳のデータ処理能力に限界がきた

古代のウルクでは、偉大な神エンキに雇われ、その隣人は
女神イナンナにつかえていた

神々がますます多くの資産と力を獲得するにつれ、その管理は
神官たちの手に負えなくなった(神官は間違いを起こす生身の人間)

⇨これを打破したのが、シュメール人により書字と貨幣の獲得
⇨人間の脳によるデータ処理の限界を打ち破った

ファラオは生きている人間というよりはむしろブランドだった
⇨生身の人間としての重要性はなく、語り継がれる象徴のようなものだった

書字のおかげで人間は社会をまるごとアルゴリズムの形で組織できるようになった
E.g. ファラオによるダム建設などは組織力によるものだった

書字のおかげで人々は抽象的なシンボルを介して現実を経験することに慣れた
E.g.古代エジプトの書記は、農耕民族などと違ってほとんどの時間を
読んだり書いたり計算したりするのに時間を割いた
⇨文書という媒体を通して現実をみるようになった

書字の歴史は少なくとも政府の視点に立てばメリットのほうが上回った
但し、事実よりも書類に書かれていることの方が遥かに重要だった

文書と現実が衝突したとき現実が道を譲らざるをえないことがあるのは本当か?
官僚制は力を蓄えるにつれて自らの誤りに動じなくなる
⇨自分たちの物語を変えて現実に合うようにするかわりに、現実を変えて自分たちの
物語に合わせることができる
E.g.十九世紀後期のヨーロッパによるアフリカ各地の領有、領地の分割
ヨーロッパ内部での衝突を防ぐためにアフリカ人の民族や宗教などの実情を無視

教育制度も同じ
⇨生徒に対してどのような教育をするか考えるべきなのに生徒の実情を無視して
良い成績という物差しのみ重視した

大量の人間を組織できる権力の大半は虚構の信念を従順な現実に押し付ける能力にかかっている

貨幣:政府が紙切れを発行し、それをもとに税を国民に払わせることができる
⇨政府の役人たちの信念が正しかったことが立証される
⇨紙幣は政府が管理するので政府の権力が増す

聖典:賢人が聖典を学び始め、聖典の権威となり、聖典の権威保持に貢献する

人間の強力ネットワークは自らが生み出した基準を使って自らを評価し、自らに対して高い
点数をつける
神や国家や企業が基準:自らの成功を想像上の観点から評価する
宗教:神の戒律を字義通りに守っていれば成功している
国家:国益を拡大していればよい

⇨人間のネットワークの歴史を調べる際は現実のものの視点から物事を眺めるべき
⇨それが苦しむことはあるか?と自問
⇨虚構は不可欠だが、虚構と現実を区別することは重要

第5章 科学と宗教というおかしな夫婦

科学の力によって共同主観的な神話の力を強めていく可能性が高い
人々が自分のお気に入りの虚構に合うように現実を作り変えるにつれてコンピューターと
生物工学のおかげで虚構と現実の違いがあやふやになってく

E.g.当時のファラオは農民と同じ、金の服を待とうワニもただの爬虫類
⇨永遠の若さを手に入れる人間やスーパーワニを科学のちからで生み出せるかもしれない

科学と宗教にまつわる誤解のほとんどは宗教の定義の仕方が間違っているために生じる
⇨超自然的な力を信じるひとはほとんどいない
⇨宗教を信じているひとは病原菌が体に入ると健康を害するように、
悪い霊が体にはいると健康を害すると考える
科学の立場からも宗教の立場からもどちらも上記は自然の摂理

宗教は神ではなく人間が創り出したもので神の存在ではなく社会的な機能によって定義される
人間の法や規範や価値観に超人間的な正当性を与える網羅的な物語ならそのどれもが宗教だ
宗教は、人間の社会構造は超人間的な法を反映していると主張することでその社会構造を正当化する

宗教的というのは、人間が考案したとせず、従わなければならないなんらかの道徳律の体系
を人が信じているということにすぎない

宗教と科学の隔たりよりも、宗教と霊性の隔たりは大きい
⇨二元論に由来
純粋な魂の世界と物質からなる邪悪な世界
⇨物質的な誘惑や取り決めを全て疑い、俗世界の慣習や取引を疑って
道の目的地に向かう旅は「霊的な」旅と呼ばれる
⇨宗教とは根本的に違う:宗教はこの世の秩序を強固にしようとするのに足しして
霊性はこの世界から逃れようとする
E.g.ルター
⇨歴史的にみるとこれらの霊性の人は結局宗教体制を確立するようになった

科学は人間のための実用的な制度を創出るうにはいつも宗教の助けを必要とする
⇨科学は世界がどう機能するかを研究するが、人間がどう行動すべきかを決めるための
科学的手法はない

科学は事実だけを扱うとはいえ、宗教はけっして倫理的な判断をくださいだけにはとどまらない
⇨何かしら事実に関する主張をしない限り宗教は実用的な指針を一つとして提供できない
⇨科学と衝突する可能性が高い

E.g.中絶問題
⇨どこから人の命は始まるのか?

1「人の命は神聖である」といった倫理的な判断
2「人の命は受精の瞬間に始まる」といった事実に関する言明
3 倫理的な判断を事実に関する言明と融合させることから生じる、「受精のわずか
1日後さえ、妊娠中絶は絶対にゆるすべきではない」といった実際的な指針

但し上記の事実に関する言明は捏造されていたことが科学的に実証されたので、
実際的な指針も覆された

科学は倫理的な判断に対しては論じることができないが、事実に関する言明に対して
反証し、実際的な判断を覆すことができる
上記の事実に関する言明については聖書が唯一の情報源となり、いつ誰が聖書を書いたか、という
価値観にまつわる疑問ではなく事実に関する疑問を投げかけることができる

「神が聖書を書いた」という事実に関する言明は、「あなたは神が聖書を書いたと信ずるべきである」
という倫理的な命令にかわってしまうことがあまりに多い
⇨事実に関するこの言明を単に信じることが美徳となり、疑うことは恐ろしい罪となる
⇨逆に倫理的な判断は、事実に関する言明を内に秘めていることが多い
⇦擁護者たちがそうした事実は疑いの余地のないまでに証明されていると考え、わざわざ言及
しないから
「人の命は神聖である」という倫理的判断(科学に検証できないこと)は、
「全ての人には不滅の魂がある」という事実に関する言明(科学的議論の対象となること)
を覆い隠している

サム・ハリスらの一部の哲学者は、人間の価値観の中には事実に関する言明が
つねに隠されているので、科学はつねに倫理的ジレンマを解決できると主張するようになった

人間はみな苦しみを最小化し、幸福を最大化するという単一の至高の価値観をもっており、
倫理的な議論はすべて幸福を最大化する最も効率的な方法にまつわる、事実に関する議論である
とハリスは考えている

だが幸福そのものを図ることができないので科学が倫理的な議論に貢献することはできても
超えられない一線がある
⇨なんらかの宗教の導きがなければ大規模な社会的秩序を維持するのは不可能だ
大学や研究所さえ宗教的な後ろ盾を必要とする
⇨宗教は科学研究の倫理的正当性を提供し、それと引き換えに科学の方針と科学的発見の利用法に影響をあたえる

宗教は秩序に関心がある:社会構造を創り出して維持することを目指す
科学は力に関心がある:病気を直したり戦争したり食物を生産したりする力を研究を
通して獲得することを目指す
⇨科学と宗教は集団的な組織としては、真理よりも秩序と力を優先する
真理の断固とした探求は霊的な旅
⇨近代と現代の歴史は、科学とある特定の宗教、すなわち
人間至上主義との間の取り決めを形にするプロセスとして眺めたほうがはるかに正確

人間至上主義×科学
⇨ポスト人間至上主義×科学にうつるか?

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