見出し画像

生き直す⑨〜脳内出血を経験して〜



お願い

病気をしてしまうと(風邪とかそういうレベルではなく)、
今までのその人は一旦いなくなります。
特に脳がやられてしまうと、その人には永遠に戻ってこないかもしれませんが、
だとしても人間レベルがアップして、もっと魅力的になったその人に会えるはずだと私は思っています。

私自身、今でも回復したとは思えていません。回復できるとも思っていないけど、それでいい。回復しなくちゃとか、そういう執着を完全に捨てたのはいつだったでしょうか?
でも、けっして後ろ向きな話ではなく、新しい回路はできましたし(もちろん駄目になった回路はあると思いますけど)かなり生きていく上で拾ったものは多かったと思います。
病気せず、生きてこれた場合の今の年齢と、今の自分を比べたとき思うのは、多分今の自分のほうが人間的に上。これだけは言える。(自己満足かもしれませんけどね)


あまり回復を求めず、なりたい自分を求めていくといいと思います。回復を求めたり(過去の自分に執着)しすぎると辛いです。

そして、やりたいことに必死になること、
これが1番求める自分になれると思う。
人と比べることをしない、自分軸で生きること。これを意識できるようになるといいなと思います。
これがなかなか難しいのだけども(私は未だにできないです)。

残念ながら私は、なりたい自分、やりたいことのハードルが高く、しかもやり方がわからず四苦八苦しましたし、気を抜けなかった生活でしたけど、でもギリギリまでやってきたからこそやりきった感は得られています。こんなものは、結局自己満足ですが、それはそれでいいと思う。自分の人生ですし、無駄だったなと思うのもまたいいんじゃないかな?

だから、続けることも辞めることを肯定も否定もしません。

止めないといけないのは、高過ぎるハードルに気がついたとき、それ以上に無理することだと思います。これは、仕事でもそうです。逃げるのも手です。あとは、ストレスを流せる自分になること。
(私のHSP対策に通じたりします、また機会があればHSPも掘り下げてみたいです)

そして、周りにいる方は
是非、「〇✕出来ていない」とジャッジし続けることはやめてほしい。多分、本人はわかっています。あまりに、できない!できない!を、連発すると、自己防衛に走ります、更に萎縮もするでしょう。いい結果にはなりません。職場でよく見る光景ですね。

〇✕出来ないと、相手に言い続けることはなんにも良い結果をもたらしません。ただ言うことで、言った本人がスッキリするだけかな。スッキリしているかどうかもわかりませんが。

足が上がらず躓くたびに、気をつけないからだとか言うくらいなら、こうしてみれば?と提案してみる、代替案を出してみるほうが、建設的です。
うちの親もそういう、解決策を出してくるタイプだったらありがたかったですが‥‥ね。だから駄目なんだと言われた記憶のみ今はたくさん残っています。

 話が、それますが、そうやって言っていた人に限って、自分がつまずくようになると、年齢のせいだとか、自分の病気のせいだとかって言うのはなぜでしょうか?
 でも、私には気をつけていないからと言っていたでしょうとでも言おうものなら、あなたは今から伸びる年齢だったから、あの時は私は親として発破をかけていたの!!と言い訳になるわけで、触れるのも面倒です。

とくに回復期
 急がせないで下さい。
回復しようとする人は、頑張っています、生きているだけで頑張っています。
バラバラになってしまい、協力するのが大変なそれぞれの機能を、まず協力させることに時間がかかります。言うなれば、小学校一年生の教室状態が頭の中で起こっています。ゆっくりしているわけではありません。
支援と干渉は違います。
干渉は相手の意志やペースはあまり考えていません。干渉をしてくる人に対して、人はどうするか?思考を閉じることで身をまもります。面倒くさくなって会話をしないことを選びます。

頭の中が、小学校一年生の教室というのは、
物事一つ一つがバラバラに起こる。思いつくことがたくさんあっても、一つの結論、結果が出せないわけです。

言い換えると、まとまれないマルチタスクを常にやっています。
だから、ぜひ支援をする方は、その時点では、シングルタスクの状況をつくってあげてほしい。(一つ一つ完成させていくスタイルです。)

大変なのは極度のマルチタスクタイプの人が近くにいることてなんです。→どうゆうことか?に関してはまた書きます。
マルチタスク、シングルタスクに関しては、子育て論や職場で必要な考え方だったりしますので、またいつかかけるといいなと思います。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?