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山に登れば

肩で息をしている。両方のふくらはぎと太ももが悲鳴をあげる。寒い、辛い、帰りたい。それでも足は上へ上へと向かうことをやめようとしない。
「どうして、こんなところへ来てしまったのだろうか?」
私は、丹沢山地最高峰の山、蛭ヶ岳にいた。

私が何かをしようと思う時は、いつも突然だ。
旅行に行くのも、何かを始めることも、そして何かを止めることも。

その日もいつもと同じように、布団の中でスマートフォンをいじっていた。
仕事がうまくいかず、付き合ってる彼女との関係も、もう5年目を迎えて倦怠感を感じていた。
そこそこに友達だっているが、目新しい発見もなく、久しぶりにあっても昔話ばかり。日常にあるのは閉塞感と夢も理想もない、ただ与えられたことをこなすだけで終わっていく日々。陳腐な言葉だが、自由になりたかった。日常から解放されたかった。そして、何か達成感を自分でやり切ったそう思える経験がしたかった。
気がつくと僕は、Amazonカートに登山用のザックと靴を入れていた。

朝4時、目覚ましが鳴る。
前日に準備しておいたメリノウールの下着に着替える。
白湯を1杯、眠っていた体を目覚めさせる。
夜明け前、車のエンジン音が住宅街に響いている。
出発。カーステレオからはビートルズのHere Comes The Sunが流れていた。
国道16号線を八王子方面へ、そこから相模湖の方へ向かう。人通りもなく、車もまばら。
ラジオからはトムウェイツのOl’55、まさにこのシチュエーションにぴったりの1曲だ。自然と車のスピードも速くなる。国道413号線に入った。目的地はもうすぐだ。
さらに車を山の方へ進める。舗装もないような道を超えたその先に見えた、青根登山口。
ザックを背負い、登山靴へ履き替える。
看板には、「蛭ヶ岳8㎞」の文字。
長い1日が始まった。

山を登っている時、人はどんなことを考えるのか疑問に思ったことがあった。周りの景色のことか、自分の人生のことか、家族のことかそれとも…
正直なことを言えば、夢枕獏の「神々の山嶺」に出てくるような精神世界なんてものは味わえなかったに等しい。
日頃の運動不足の体に鞭を打ち足を前に進める。考えられることは前に進むことだけで、人生のことや己との戦い、自然と調和しながらも制服していく楽しみなんてものを考える暇なんてない。まるで前に進んでいくことだけインプットされた機械のように進んでいった。

登り始めた頃にはまだ低い位置にあった太陽もすっかり高くなり始めた。「蛭ヶ岳800m」あと少しだと思ったその時、両足に違和感を感じた。足が攣り始めた。頂上までは残り階段を残すばかりなのに足が止まる。階段に座り込む。
そこにはこれまで自分の歩いてきた道程と丹沢山の絶景と遥か先には富士山が鎮座している。風が強くなり、次第にガスも濃くなってくる。
このままここで座り込み夜を待とうかと思うほどの疲労に襲われた。圧倒的な自然と己の弱さに負けようとしている自分。これ程までに惨めな対比構図があろうか。それでも地面を這いつくばるように両手で体を支えながら、階段を登っていく。今までの人生の中でも1番長い30分間。階段を1段登っていくごとに煩悩が消えていく。手も膝も服も顔も泥だらけで不細工で必死で。ひたすらその場所を目指して登ったその先には、ガスに包まれた頂上があった。

山に登ったら何が見つかるのか?
なぜ、山に登るのか?
その答えは、私には分からなかった。
けれど、既に次の山行に向けて準備をしている私がいる。
ザックにコーヒーと食事と水を詰めて、都会の喧騒を離れた少しばかりの冒険。
その楽しさは、登ったものにしかわかるまい。
最後に諸君へ今回の山行の収穫としてこの言葉を捧げたいと思う。

山は、良いよ。
















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