トイ・ストーリー4
今回、登場したキャラクターの半数以上に魂が入っていなかった。
というか、ギャビーギャビーとボーピープ以外生きていなかったといっても過言ではない。
ウッディすらも今までの積み重ねを忘れ去り、嫉妬深いカウボーイ人形に戻っているのだから嘆かわしい。君はそれを1で克服したんじゃなかったのか。
バズなどはほとんど活躍の場もなく、鳴り物入りで登場したフォーキーは重要な鍵を握っているかといえばそんなことはなかった。
挙げ句の果てにおもちゃは人間世界に干渉し放題で、もう普通に人間にバレるレベルで動きまわる。
縛りがあるからこそ生まれたきらめきのような緊張感が、すっかり失われてしまっている。
結局は、おもちゃの物語ではなくなってしまったのだ。
体のいい人間ドラマの直喩になりかわってしまった。
違う存在、だけど共感できるところがあったり、誰もがおもちゃで遊んできたからこそ、郷愁に訴えかける力が強かった。それこそ、卑怯なまでに。
しかし今回の話では「おもちゃ」であることを放棄して、「人間」「人生」を描こうとしてしまっている。「おもちゃ」なのに。
その矛盾が致命的にトイ・ストーリー4をつまらなくさせている。
もちろん、表面に散りばめられたアクションやギャグは流石の出来だし、ギャビーギャビーが勇気を出したところは涙を誘った。
拒絶されるかもしれない。
だけど、「おもちゃ」だから。
誰かの、子どもの背中を押すために。
一歩を踏み出す、原動力となるために。
このテーマこそが求めていたものだった。
しかしウッディは結局ボニーの元からも去り、バズたち仲間の元からも去っていく。
アンディが託したもの、仲間たちと築いたもの。
そういう1~3で積み上げたおもちゃとしての誇りと矜持を捨て去るに足る理由がまるで見えてこなかった。
3ラストで、ボニーから必要とされなくなっても、仲間たちと共にどこまでもいこう、と覚悟したのはなんだったのか。嘘だったのか。
こういう話がやりたいから!という製作側の筋書きに、キャラクターたちが成す術もなく引きずられたようにしか見えなかった。
ボニーだって、アンディとの約束を忘れるような子じゃないはずだ。もちろん魔法の言葉「子供だから」があるけれど、アンディはボニーが大切にしてくれるから、思い出と共に継承することができたのに。
そういう今まで大切にしてきたもの全部が、急に価値をなくしてしまって、だからといって新しく提示された方向性には納得がいかなくて。
シリーズが好きな分だけ後味が悪くなるという絶望的な構造。
なんだろう、次を出すからにはやはり前を越えてほしいという期待と、新しい結論はより良いものであるべきという価値観があるからなのか。
フォーキーがおもちゃとしてのレゾンデートルを獲得する過程で、おもちゃの魂はどこからきてどこへいくのか、みたいなテーマでやってほしかったなあ。
どうせ死ぬのに何故生きるの?という問いに片足を突っ込みつつ、なんの答えも提示されない投げっぱなし作品と言わざるを得ない。
ところでこの作品、ポリコレポリコレって言われるけど、ポリコレ的にも中途半端だと思う。
というか、ボイスボックスの瑕疵がまんま唖につながるだろうにボイスボックスを直す/失う結末になり、直した方が結果的におもちゃとして受け入れられ、失った方はおもちゃとしての道を歩まなくなるって、ちょっと発音障害に対しての配慮がかけてるんじゃ?と思った。
途中羊が脚を失うも特になんのフォローもなかったし。雑じゃない?いや、彼らなら後で脚回収して直すくらいのタフさはあるだろうけども。
あんまりポリコレ意識するのもアレだけど、言われるほどポリコレってわけでもないと思う。
ボーはまんまシングル女性だけどね…。でも最終的にウッディと共に行くことを選んだわけだから、これまたシングル女性の否定ともとられかねないのでは?と思ったり。
なんだかことごとく雑だなあ。
そんなわけでオススメしません。
シリーズ初見の人には逆にオススメなのかもしれない()
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