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グランドフィナーレから1年が過ぎて。

3月くらいから殆どログインしなくなっている。

数か月前は、まあサ終までは付き合ったろかと思っていたんですけど、そんな気持ちをぶっちぎるようなことが起こっていた。

カードのニッチ化と魔道杯(並びに高難易度)のクソ化である。

いや人によっては別にクソではないのかもしれない。
しかしわたしにとっては確かにそれは受け入れがたい環境変化なのであった。

基本的に該当キーカードがなければ突破できない、のである。

もちろん、ユーザーの絶え間ない努力によって抜け道は毎回発見されているものであるが(たぶん)、それにしても、である。

ニッチなカードを出す
→それの接待魔道杯(なお当然ながらどれが接待されるかはわからない)

基本的にこれの繰り返しである。
もちろん以前もその傾向はあった、と思う、たぶん。もう思い出せない。
でも、今の環境は大分ロコツであるといえると思う。
その接待カードを持っているか、そしてそれを活かせるデッキを組めるかどうか、ということに主軸が置かれている。

わたしは、それが嫌なのだ。

今までの黒猫は、それこそ集めたカード量がそのまま強さになるようなゲーム性だった(と感じていた)。
用意されたハードルに応じて、自分の手持ちならどんな風に組めば突破できればいいか考えるのが好きだった。

デッキを組むまでの魔道杯は楽しい、という意見を目にしたことがある。
たぶんそういう楽しみを感じていたユーザーは少なくはないだろう。

単純に言ってしまえば、「カードの種類の豊富さ=強さ」の式が以前は成立していた、と思う。

あれがなくてもこれがある、それがだめでもこれはある、みたいなやりくりが楽しかった。
なぜならば、それこそが「黒猫のウィズの世界観」にマッチしていたように感じられたからだ。

ストーリーでの魔法使いも、多彩なクエスアリアス式の精霊魔法(カード)で困難を突破している。
そういうリンクが魅力的でなかったとは言わせない。
場合によっては全然違う突破方法も見つけ出すことができる、それが醍醐味だったと思う。

いま、は、回れなければ絶級を回ればよい、という狂気めいたことが受け入れられている。

狂気めいた、と言ってもそれはゲームのシステム上仕方ないことだ。
強くなければ下の級で倍周することはやむを得ない。

しかし、わたしは思う。
「それは本当に弱いからなのか?」と。

接待カードの有無は、強さと直結しない。
持っているか、持っていないか、ただそれだけだ。
そんなことが強さなわけがない。わたしはそう思う。
そして、少なくとも今までの黒猫はそうだったと感じている。

初心者からすれば、現行ガチャでキーカードを揃えることができるのは良いことなのかもしれない。
(そのためのフォローカードが必要なのはとりあえず置いておいて)
しかし、それは逆にいえば毎イベごとに張り付いて報酬だの限定だのを揃える必要性を損なう、ということである。
毎回渋いドロップ率の配布など、揃えるだけ殆ど無駄になるのである。
だって商売なのだから、接待は絶対的にガチャ限のカードなのだ。
出番などなく、それが推しでもなければただ手持ちの枠を圧迫するだけの存在だ。

つまり、以前までは、
「配布を集めること=(バリエーションが増えるので)強くなること」
であったのに対し、
「配布を集めること=(接待は運営の気持ち次第なので)強さに直結しない」
という図式に変化してしまっているのである。

それでは、何のために苦労して周回しなければならないのか。
しかも以前(1回程度通しでクリアすればほとんど配布は完成させられた)と異なり、何度も周回しなければならない。
さらに前述のとおり、その苦労が報われるとは限らないのだ。
なんとも馬鹿馬鹿しい話である。
人生の有限な時間をドブに捨てているようなものだ。

努力が強さに直結しない。
これはゲームのデザインにおいて致命的だと思う。

一般的にゲームは、やはり「強くなること」が目的だとわたしは思う。

新しい武器、新しい仲間、新しいスキル。あるいは、繰り返しによるプレイヤーの練度向上。
ゲームを進めていけばそれらが手に入るし、それによってプレイヤーは多様な戦略を立てられるようになり、最初は歯が立たなかった強敵とも渡り合えるようになる。
それこそがゲームにおける喜びや面白さだろう。

話を読むだけなら、本でいいのである。
ノベルゲーというわけでもない。
ゲームの体裁をとっている以上、それは「ゲームであるべきだ」。
しかも、以前はそうだったはずなのだ。
そうでなければわたしが総合を取れているはずがない。

努力が強さに結びつかない。
それならば、いま強いられている努力はなんなのだ。徒労ではないのか。
報われない努力など、するだけ無駄である。

そう思ったら、駄目だった。
総合なんて取らなくていいし、配布なんてもっと取らなくていい。
並行して、イベントもクロスオーバーありきになっていったのもモチベーションの低下に拍車をかけた。

締め切り間際に必死でストーリーを読んだり、締め切りに間に合わせるために周回したりその時間を確保することは、単純にストレスだった。
しかしそのストレスを抱えてでも、わたしは「強くなりたかった」し、ストーリーを楽しんでもいた。

「強くなること」が叶わなくなってしまった今、ストーリーにしか望みはない。
しかもそのストーリーは良くも悪くも玉石混交だし、わたしはかなり辛口なので、本当に満足のいくストーリーはたまにしかない。
(しかも、好きな某ライターさんの存続も怪しい)

結果、ログインしなくなった。
ストーリーを追うだけなら、その時にログインして読めばいいし、頑張って追い続ける必要性などないのである。

そうなったらおもしろいもので、まったくと言っていいほどログインしようという気にならない。
他のアプリではカムバックキャンペーンや、報酬がやたらおいしい期間があるのに、黒猫ではそれが無いので、本当にログインしようと思うきっかけがないのだ。

その上ユーザーも減っているのかわたしのTwitterが氷瀑だからなのか、黒猫の感想自体ほぼ流れてこない。
見たとしてガチャ結果とか、魔道杯の結果とか。
おもしろいのが、順位とか結果は流れてくるのにデッキは流れてこないんですよね。
内容に触れたとして、おもしろかった!とか、推しが出た!とか、それくらい。漠然としていて全く共感できない。興味をそそられない。別に他のユーザーにそれを求めているわけでもないのですが、「そうなんだーよかったねえ」で終わってしまうのですよね。「自分もやってみよう」という気にならない。(いやこれは前からか)
いやほんとわたしのTwitterが悪いのは大いにあると思うんですけど、現行ユーザーが今も黒猫に付き合い続けていることに推し待ちと惰性以外の理由があるなら教えてほしいと思うくらいには不思議に感じています。

しかしなんだかんだ言っても、わたしは今も続けているような信心深いユーザーは救われてほしいと思っているし、なんかの間違いでまた「ゲームとしての面白さ」を取り戻してほしいと思っているのです。

このままサ終になってしまうなんて、たとえそれが逃れえぬことなのだとしても、本当にもったいないことだと思いませんか?


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