リヴ フォーエバー

わたしのロックスター。
TOO YOUNG TO DIEがロックスターのセオリーだった時代から、しぶとく生き続けて散々酷いことをして散々傷ついてそれでも音楽の隣に居続けるoasisが、はじめて出会った高校生の頃からずっとわたしのスターだった。
もうふたりが並び立つ姿を見ることはもう不可能だと思っていたし、そもそも彼らがこの世界に生き、同じ世界で今も息をしていることをほとんどわたしは信じていなかった。
ので、現実味もなく、先日の日本のロックスターの訃報にうなだれるパパと呑気に百貨店で財布を探したりした後で会場に入った。
大々的なポスターもなく、長い行列に何時間も並ぶことも無く席につき、4.50代の男性に囲まれ、聞き覚えのない洋学を聞きながら待った。
ここにノエルがやってこないことの方が自然だと思った。
でも不自然が起きた。
手拍子と、彼の名前を叫ぶ声の中で登場したスターは遠くて小さかったけれど、
「Thank you.」
と言った声は確かに何万回も聴いたあの声だった。
アルバム曲からスタートし、曲の合間には歓声と拍手が鳴った。今回のツアーのアルバムは、彼が
「公営団地から見た空」
がテーマだと事前にインタビューで読んだ。
懐かしくて優しくて、でもそこにはいつも必ず怒りとか憤りがある。自分たち以外は全員バカで、バカな奴らを鼻で笑いとばす。興味のないもの、関係ないものにかける言葉などカスかクズかクソのどれかでいい。そういう彼らが好きだったし、ずっと憧れてきた。
でもそれと共に、そこに立っているスターには音楽に対する畏敬の念、真っ直ぐに貫いてきた大きななにか、苦しんでも離れることが出来なかったものと心中する覚悟のようなものが滲み出ていた。
そういうものを前にしてわたしはずっと涙を堪えて観て聴いて感じることに必死だったのだが、アンコール前ラストの、oasis時代の曲、Little By Littleで決壊し、周りのみんなと同じように手拍子することさえ出来なかった。

https://youtu.be/q00OZeVisnY?si=sznR7MXdsVAn7WRr

"ほんとうの完璧は、不完全じゃなきゃいけない 愚かに聞こえるかもしれないけどそれは本当なんだ
神様は機嫌が悪いみたいだけど どうでもいい"

絶頂のさなか、死んでいく人は美しい。惜しまれながら、恋人に殺されたり、薬物中毒になったり、お似合いのストーリーと一緒に最後までカリスマでいられる。
でもわたしはやっぱり泥水を啜っても他人に蔑まれてもあの頃のような名声を得られなくてもそれでも生きていくひとが好きだと思った。
リアムがソロになった時、アルバムの取材でoasisのこと、ノエルに向けて書いた曲のこと、そしてもうノエルと並んでステージに立つことは無いという思いと共に、

「それでも俺はあいつを救い出すつもりだよ。なぜなら、あいつは救われる必要があるから。そしてあいつは俺を救い出すだろう。なぜなら俺は救い出される必要があるから。それは愛、愛、愛であり、憎しみ、憎しみ、憎しみではない。俺はあいつを嫌っていない。愛しているんだよ。わかるかい?」

と語っていたこと。
そして彼らが別々の場所でも共に作った音楽を今も鳴らし、歌っていること。それで十分だと思った。和解も再結成もなくていい。誰よりも長生きし、誰よりもロックスターのままでリングに上がり続けて欲しい。
Live forever、死んでたまるか、いつまでも生きていたい、そういう願いだけはいつまでも抱えていて欲しい。

https://youtu.be/QS5bRnjeyPY?si=bVe_2pMaP8u1ORoW


ちなみに、最後の最後はお決まりのDon't look back in angerの大合唱で、わたしは歌うことすら出来ず、あまりにも多すぎるこの曲と共にある思い出やそこから繋がっていくたいせつなひとへの感情も押し寄せてきて、呆気なく終了したライブの後はお風呂上がりみたいにぼーっとした。
終了間際、アイラビューの声とともに、
「You are God!!!」
という声が響いた。
いつも機嫌が悪く、疲れたり怒ったりしていて、それでもギターの音色とマイクから聞こえる声はとびきりやさしく音楽にだけは誠実なわたしたちの神様。救われてきた人たちは数え切れないほどいるのだということを会場を見渡して実感した。
音楽は救いだった。
そしてわたしにとってそうであるならば、彼らにとってもいつまでも、音楽が救いでありますようにと祈る。



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