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遠くに行ったひと 映画『アフターサン』

(映画『アフターサン』の内容を含みます。)

今年の夏は映画館で『アフターサン』を3回観た。この映画が面白かったから、というよりは、もう一度観に行かずにはいられなかったのだ。どちらかといえば、上演中ずっと、観ているのがなんとなく苦しかった。穏やかで、ゆっくりとした時間が流れる夏がそこにあって、しかしもうなにもかもが届かないものとなってしまった、というようなどうしようもない感覚に包まれた。
観たときに何を思ったかの記録として、私の感想をここに残しておきたいと思う。



父が、ものすごく苦しそうに、印象的に泣くシーンがある。娘が父を喜ばせようと、滞在先の観光客たちに協力を頼んで、サプライズでバースデーソングを歌った時だった。それを聴いた父は、なんともいえない表情で娘を見つめ、後からホテルの部屋で独り、咽ぶように泣いたのだった。まるで巨大な機械ですり潰されているかのような泣き方だった。
父はあの時、何を見ていたのだろう。
父が泣くシーンを1回目に観た時、娘がサプライズでハッピーバースデーを歌ったことが、なぜそこまで父を揺さぶってしまうのかわからなかった。嬉しくて言葉に詰まったのかとさえ思った。この映画を3回観て、何が父をあそこまで締め付けていたのか、今ならわかるような気がする。父は、自己嫌悪で泣いたのだ。
どうしても死に引っ張られてしまう自分。歩みを止める事なく夜の海にひとり消えていこうとする自分。歌を習わせてやれるほどのお金がないことを当然のように娘に知られている無力で何も持っていない自分。11歳の時に思い描いていた大人の自分とは掛け離れた惨めで情けない自分。夜の海に突き進んで帰ってこないはずだったのに、それもできずに、気がついたら部屋に鍵をかけてベッドに横たわり、深夜に娘を閉め出してしまっていた自分。
自分のことが醜くて惨めでどうしようもない、それなのにそんな自分に対して、娘は周りの人たちに頼んでサプライズのハッピーバースデーを歌う。死のうとし続けている自分に、生まれて来たことへの祝福を歌う。
夜の海へ消えた父が、翌朝娘の使うベッドに縋るようにしがみついて眠っている姿を見て、私は娘の存在だけが唯一、父をここに繋ぎ止めていたのかもしれない、と思う。

自分の人生を愛せない。惨めでどうしようもないこんな人生を終わらせてしまいたい。でも、同時に娘を愛している。大切な人たちを愛している。父はその葛藤の中でずっとずっと苦しかったんじゃないか。あの時、父は自分に対する嫌悪と、愛する娘が自分にくれる愛との間に挟まれて、まるで巨大な何かに潰されているかのように苦しそうに泣いたのだ。自分には、こんなに幸せでいていい資格が無い、とでも言うように。

滞在先で基本的には娘を好きに遊ばせていた父が、娘がやりたがったパラグライダーは何回言っても拒んだのは、それが夜の海や無免許の単独スキューバダイビングとは比べ物にならないくらいに、あまりにも死に近いものだったからなのではないのか。作中何度も、パラグライダーで宙を舞う観光客が、大画面にちっぽけに映される。落下傘を繋ぐ細い糸をちょっと切れば簡単に地面に叩きつけられるのを示すかのように。おそらく父は予感していたのだ。「その時」がきたとき、思いとどまれる自信が無いことを。地上から遠く離れた小さな傘の下では、二度と戻れないほどに死の引力が強くなってしまう場所だと父は知っていた。そして拒んだ。だとしたら、娘の「空を飛んでみたい」という純粋な好奇心を抑えてまでもパラグライダーをしなかったのは、父の、死に対するささやかな抵抗なのだろうか。彼は生きようと抗っていたのだろうか。
あの時の父親と同じ年齢になった娘は、父と過ごした夏の、そして父親にとってのおそらく最後の夏のビデオテープを再生する。小さな赤ん坊の泣き声を聞きながら、彼女は目を瞑って、何かを見ている。彼女もまた、父が入っていって二度と出てくることのなかった光の点滅する部屋の中にいる。点滅し続ける光の空間の中にあの頃の父を見つける。もがくように踊る父を、見つめ、抱きしめながら、彼女はきっと、ずっとずっと前から死というものを見つめている。
11歳の夏、彼女は建物の陰で少年同士がキスしているのを見る。それはほんの一瞬で、無くても物語は成立するようなシーンで、意図的に描かれているのかはわからない。大人になった彼女は、女性のパートナーと子供を持ち、共に暮らしている。寝室には、父が心を惹かれたトルコの絨毯がある。

一度育った土地を離れたら、そこに居場所は無くなってしまうのだと父は娘に言う。そして、自分が生まれ育ったエディンバラを故郷だと思ったことは無い、とも。プールサイドで、小さな男の子の腕を引っ張り半ば引き摺るように扱う他の観光客の親を、父は何を考えているのかわからない表情で見つめる。その父の眼差しを、娘はそっと見ていた。幼少期の記憶に暗い影が垣間見える父は、それでも必死で負の連鎖を止め、娘に愛情を注ぎ、護身術を教える。「普通」を手に入れること、マイナスをゼロにすることが父にとってどんなに努力と苦労が必要だったか、今の「愛情深い父親」の姿からは見えない。19歳。若くして父親になった彼が、最後に遺したビデオテープを、彼の輪郭をなぞるようにして大人になった彼女は再生する。このビデオテープはあの時の父の視界で、父にだけ見えていたものが今の彼女には見える。彼と同じ年齢になった彼女を、あの頃の父に重ねてしまう。娘との時間が、唯一、死の世界へ引っ張られてしまう父を生の世界に繋ぎ止めておくものだったとしたら、父は空港で娘と離れてすぐ、この世界と自分の命を繋ぐ糸が切れたかのように、光の点滅するあの部屋に永遠に消えてしまったのかもしれない。

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