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愛すべき上野の大統領で出会ったご婦人の話

2020年はコロナウイルスで世界中が自粛ムードも佳境の中、現在、私はブリュッセルの自宅にて自粛生活を続けている。

ベランダから見えるブリュッセルの空は、人類が大騒ぎな中吸いこまれてしまいそうな程に澄みきった青空だ。

(去年はもっと曇りの日が多くて寒かった。いわゆる”ベルギーらしい”天気だったのに…。)

ブリュッセルへと移住する前、私は約2年ほど上野のとあるシェアハウスに住んでいた。

沢山の魅力的な飲食店がひしめいているエリアに住んでいたにも関わらず、渡航資金のために四六時中ずっと働いていた。今ではほぼお店を開拓できなかったことがとても悔やまれる。

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私は上野という街が好きだ。

成田空港から京成スカイライナーで直行できる便利な立地ながら、下町で人間味が溢れていて、どこか故郷の大阪を感じさせる。

キャリーケースを転がしながらホテルや空港へ向かう外国人観光客連れ、桃色のひと時を求め夜のネオンが煌く通りへと消えていく酔いどれサラリーマン…。

十人十色、それぞれの人生を大事に抱えた人の群れが交差していく。

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上野は酸いも甘いも嚙み分けた摩訶不思議なおもちゃ箱のような街。

古びていても、どこか懐かしいケン玉があるかと思いきや、怪しい輝きを放ちながらもどこか惹かれてしまうカラフルな宝石達。

そんな私にとって魅力的な場所。海外への移住という夢を叶えた後の2019年の年末年始。私は呼び寄せられるように上野にまた戻ってきた。

数年前はあれだけ海外に住んでみたいとそればかり考えていたのに、何と不思議なことか。今では日本を愛おしく想っている。

仕事納めの後なのか、どこか背の荷がおりたように連れに笑いかけながら、肩を抱きこれからどのお店に入るか相談しあうおじさん連れ、もうすでに足取りが若干怪しい男女グループ。

私はといえば「大統領」でひとりでゆっくり飲もうと入り口の前に並んでいた。大統領は、もつ焼きを専門とする上野ではとても有名な居酒屋だ。

私の背後にいたおじさんとペアだと思ったのか、「2人連れですね?」と店員さんがピースサインのような仕草をして席へと誘導しようとする。

席の誘導に混乱が起きたら申し訳ないなと思い、おそるおそる「あの、私1人なんですけど…」と声をかけた。

「あっ1人か!」と店員さんが気づき、見知らぬおじさんとお互いなぜか一瞬気まずくなりながらも、カウンター席に腰を下ろした。

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普段は居酒屋での女性1人呑みは平気だが、こうも店内が賑わっているとちょっとだけ怖気付いてしまう。

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冷酒と鮟肝、モツ煮という一時期帰国の身にとっては天国のような品々を注文してから、ふぅと一息ついて周りを見渡してみた。

もうすでに顔が真っ赤な若いグループ連れもいれば、何やらこの年の瀬に真剣に肩を寄せ合って話しこんでいる年配者もいたり。

お客さんと店員さんとの密集で店内は熱気がこもっていた。

ちょっとした仕事の疲れもあって、いつの間にかぼうっとしていると「ごめんなさいね。醤油をとって下さる?」と鈴を転がしたような凜とした声でささやかれた。

反射的に隣を振り向くと、そこには鮮やかな色のストールを身にまとった老婦人が座られていた。クルンとカールしたブラウンの髪はシニョンにまとめられていて、とても素敵だ。

私は数秒遅れて言葉の意味を呑みこみ、慌てて調味料セットをご婦人に渡した。

店内はガヤガヤ騒がしい中、その老婦人は浮いているわけではないんだけど、なぜか彼女の周りだけ時がふと止まっているかのような不思議な雰囲気をまとった女性だった。

何秒間か見つめてた私はハッと我に帰り、自分の冷酒に視線を戻す。

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あん肝のねっとりとした濃厚な香りが鼻孔を抜ける中、冷酒を流しこむことでより風味が際立つ。最高だ。くぅ〜、日本人に生まれて良かった…と噛みしめていると、

「お近くに住んでいるんですか?」とまた心地よい声音が響いた。

老婦人の方に振り向くと、優しげに目を細めて私を見つめている。

「はい、今日は仕事納めで1人で飲みに来ました。」

「あら」と彼女はつぶやく。

「私もね、今日はこちらに買い出しに来ていたの。」

「ああ、そうなんですね。買い出し…というのは、お仕事の関係ですか」

「そう。私ね、食事を作っているの。」

馬刺しをつまみ、黄金のビールを流しこみながらなおも続ける。

飲食店経営をしている方なのかな。

「私ね、福島から来たの。原発で働いている人達に食事を作ってるのね。今日はその買いだしでこっちへ出てきてるんです。」

これは福島のお酒ね、と私が注文した冷酒を見てくつくつと笑いながら彼女はまたお酒を飲んだ。

福島の原発といえば、2011年の大震災で特に甚大な被害を被った場所だ。あれから9年経った今も、そこへ留まって命を懸けて働き続けてくれている人達がいる。

自分の人生の日々を必死に生きていくことで精一杯だった私は、そんな大震災の記憶をずっと遠くに置いてきてしまったような気がした。

「質より量なんだから。週に1回、カレーを作ってね。あの人達、沢山食べるのよ。」

前髪をまたフワリとかきあげ、深みのあるボルドーのストールを優雅に羽織りながら、ご婦人はくいっとビールを飲んだ。

その後いくらか会話をしたあと後に席が空くのを待っている人達もいた為、私は先に席を立つことにした。

「ごめんなさいね、つい、突然話しかけてしまって。」

「いえ、お話できてとても良かったです。ありがとうございます。良いお年を。」

ダウンコートを羽織って外に出る。「ああ、もっと話したかったなあ」と湧きでた感情は、白い吐息と一緒に冷えこんだ夜空へと消えていった。

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あの出会いからもうすぐ半年が経つ。今もあのご婦人は、多くの原発作業員の方達に温かいカレーライスを作り続けているのだろうか。

そんなことをカレーを作りながら毎回思いだす。

もうあの人には一生会えないのかもしれないけれど、また日本へ帰ってきたらボルドーのストールを羽織った横顔を探してしまうかもしれない。

またどこかで会えますように。

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