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横浜の風に吹かれて③

 高校受験を目標とした中学校生活は、2学期でほぼすべてを終えることになる。私たちの頃は、3年間の成績の総合判定が、3年生の2学期の成績に反映されることになっていた。内申点である。受験の年だけ頑張ってもダメってことらしい。
 国語、数学、英語、理科、社会、技術・家庭、体育、音楽、美術の9科目が、それぞれ10段階で評価され、満点は90点ということになる。私は、なんと88点だった。いくらなんでもよすぎるが、これには理由があった。
 
 私の父方の祖母の弟は、当時の私が住んでいた、静岡県磐田市の元教育長であり、その頃もまだ、市の教育行政に影響力を持っていた、、、らしい。また、母方の祖父は、すでに引退していたが、私が住んでいた静岡県の県立高校の校長で現役を終えていた。
 
 小学生の頃、PTAの会合のあとなど、酔っぱらった先生方が自宅に来て2次会なるものをやっているのを何度もみた。子供ながらに変だな?とは思ったが、あまりにも頻繁であり、いつもは怒っている先生も、赤い顔でニコニコしているのが楽しかった。こんな時、酒を飲まない父は、たまっていた頂き物のブランデーなどをふるまっていた。ナポレオンに高級感があった時代である。今ではありえないような依怙贔屓の理由があった。
 
 学校では、全く教わっていない先生が、
「あっ、お家の方によろしくね。」
などと言ってくることが何度もあった。もちろん、「よろしく」の意味など分からないので、そのまま放置していた。小学生に、教育長という肩書がどんなものであるかなんてわかるはずもないし、どうよろしくなのか、わかるはずもない。
 
 こんなコネ社会の利権はいくらでもあった。当時、従姉の嫁いだお相手は、松任谷由実、オフコース、赤い鳥などで有名な、ライトミュージックコンテストを主催する会社の役員だった。レコードもギターも、なんでも名刺を見せるだけで、いつも4割引きで買えた。こんなのありか?と思ったが、なんでもありの時代だった。あの有名なコンテストも、コネがあれば、本選出場までは俺が何とかしてあげるから出てみろ、といわれて驚いた覚えがある。もちろん出ていない。
 
 70年安保が終わって高度成長期を迎え、個人主義の時代。主義主張よりも、傘がないことのほうが問題だった70年代。エルビス・プレスリーが死んでしまった中2の夏。キャンディーズが解散してしまった中3の年末。南こうせつ、あのねのねや、笑福亭鶴光のオールナイトニッポンばかり聞いているませた子供だった。そんな子供にも受験期はやってくる。
 
 私が進もうとしていた高校は、このころの狭い学区の中の数少ない進学校だった。1学年に8クラスがあり、そのうちの1クラスは理数科であった。今でもそうかもしれないが、学区があるのは普通科だけだったので、理数科は静岡県西部の比較的広い範囲から学生が集まってくるらしかった。理数科は少し受験レベルが高かったが、理数科で落ちたら普通科へってわけにはいかないらしく、理数科に関しては、明らかな事前調整がなされ、受けていいよと言ってもらえれば、絶対に合格するとのことであった。
 
 この状況で、受験の緊張感をもつのは難しく、私は日々、楽しく過ごすことばかりの毎日で、他校に進学した先輩たちと遊んでばかりいた。
 地元の農業高校や商業高校に進んだ先輩たちには、なぜかとてもかわいがってもらった。詳しくは書かないが、、、書けないが、彼らには、ある種の迫力があった。彼らとは、麻雀、花札などーいずれも私は父に教えてもらったーばかりしていた気がする。
 
 私の家には、よく同級生が集まってっ来た。「勉強教えてもらってくる。」、というと、快く送り出してくれるらしかった。もちろん、勉強などするはずがない。もしするとしても、1~2問、わからないところを説明してあげるだけだった。あとは、なんてことない遊びかた、トランプや、ギターを弾いたりして過ごしていた。
 
 全く緊張感もないまま受験が終わった。特別難しくもなかったが、思ったよりわからない問題があって、少しだけ動揺した。でも事前調整は間違いがないので、試験を受ける場所が、いつもと違うところだったという程度の感覚だった。
 
 父や兄が通ったのと同じ高校の理数科への進学が決まった。
怒涛の3年間を過ごすことになる。

 私が高校受験の同じ年、兄は大学受験だった。兄は、父の仕事を継ぐべく、経済系の学部を目指していた。父が亡くなったため、浪人することは許されないと言って、推薦入学を利用して大学を決めていた。高校を卒業すると、兄は、東京での一人暮らしが始まった。母と、私と、祖母の3人暮らしになった。
 
 この3人暮らしは、それなりに大変だった。だからというわけではないが、今思えば、思春期に誰もが通る道、それが少し長くけわしかった気がする。

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