「今夜、すべてのバーで」中島らも

 「日本の政府には、ドラッグ常用者を逮捕する資格はない。アル中を量産している形而下的主犯は政府なのだ。犯罪者に犯罪者を逮捕する資格はない。」

 この一節がすごく気に入っている。この一節をプリントしたTシャツでも作ってやりたいくらいには気に入っている。しかし、アル中を自己管理能力の甘さが招いた結果として認識している人の中には、責任転嫁も甚だしいと思う人もいるのかもしれない。そもそも、日本政府を相手取るにはその主体性が曖昧すぎる。日本という国に帰属意識を持った人間たちの総意が成しているのが日本政府という組織なら、主犯は日本国民全員だとも言えてしまうのではないか。

 高校に入学して一週間、なぜか上級生に裸足で正座させられ、理不尽に怒鳴られ続けるという行事が毎日放課後に開催された。300年以上続く高校の何年続いているのかは分からないが伝統と名付けられたパワハラ。私は予告なく始まったその"伝統"に巻き込まれたとき、何を思うでもなく泣いていた。もともと、自分ではない誰かが怒られているのを見るだけで萎縮して、泣いてしまうような子どもだった。他人が怒鳴られているだけでも怖くて苦しくて息が詰まる。周りの同級生は終わった後も何故か平然としていて、理解できない伝統に怒りを覚える者、笑う者、困惑する者こそいたが、泣いているのは私一人だった。他人よりも世界に対する解像度が高く、それ故に敏感で、傷付きやすい。その場で泣いて終わる程度なら良かったが、毎日夜になると全身に蕁麻疹がミミズ腫れのように表れ始め、風呂にも入れなくなった。そのうちにストレス性胃炎を発症して胃液を吐くようになった。ご飯が食べられなくなり、水も飲めなくなった。脱水で視界がぼやけて、倒れた。学校を休んで病院で点滴を打つ日が続いた。

 そのうちに、学校の校門に足をかけると動悸がするようになった。教室に向かう階段を一段一段上がるごとに胸が締め付けられて苦しい。涙が溢れて息ができなくなり、踊り場に座り込む。教室に行くことを諦めて、保健室のドアを泣きながらノックする日が増え、それから学校に行かない日が増えた。人の群れが怖くなった。

 学校に行かない日は過食嘔吐を繰り返した。ストレスで炎症を起こしている胃に食べ物を詰め込んでは、たまらず吐き出す。毎日毎日寝るか食べるかゲロを吐くか泣いていた。

 当時の自分がアルコール分解酵素を持つ成人だったなら震える足を止めるため、世界の解像度を下げるため、敏感な精神を鈍感にするため、迷わずアルコールを口にしたと思う。炎症を起こしている胃袋には食べ物の代わりにアルコールを流し込んだと思う。アル中には素質がいるだろうが、その素質さえあればアル中街道まっしぐらだったと思う。人より世界がよく見えるばかりに、敏感で繊細なばかりに、生きていることさえ、自分の存在さえ否定される毎日を破壊する手段を探しているだけだった。その答えに、リストカットがあり、売春があり、摂食障害があり、アル中があり、自殺があるだけだった。たしかに、わたしたちを否定した社会こそが主犯だと言ってやりたい気持ちもよくわかる。

 鬱の唯一の治療薬は生きたいという希死念慮の対極にある生存本能だ。あるいは、ただ単に死ねないという程度でもいい。しかし、依存はそこから自分を遠ざけてしまう。鬱病患者が生きる道を選ぶということは諦めるということでもある。学校に行けなくてもいい、社会のゴミでもいい、生産性はもはやマイナスでもいい、人と同じじゃなくていい、普通じゃなくていい、親に見捨てられたっていい、それでも生きたい。そう思えて、ようやく更生のスタートラインに立てる。世界を憎んでも鬱病は治らない。

 また、鬱病は精神論で解決するものではないが、破壊衝動にどこまで身を任せてしまうかという心の弱さが鬱病の悪化に拍車をかけてしまうことはあるように思う。そして、依存はスタートラインと逆側に走るようなものだ。依存を脱しなければ更生の道もない。

 おいしくるメロンパンのナカシマくんは、世界がよく見えすぎると疲れるという理由で近視でもコンタクトをしないらしい。結局、そういうチープな方法で騙し騙し生きていくことも処世術のひとつなのだと思った。

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