「傲慢と善良」辻村深月

 あなたのためを思って言ってるの、親御さんもあなたのためを思って言ってるのよ、みんな、あなたのためを思って。

 あなたのためを思って、この枕詞から続く大人の言葉で、本当に私のためを思ってかけられた言葉など一つもないということを10代の私は痛いほど教えられた。私のためじゃなくて、全部自分のためじゃないか、そう心の中では反論しても口には出せなかった。

 高校生で不登校になったとき、最初は体調を心配していた母もだんだん私が学校に行かないことに難色を示すようになっていった。学校に行けない自分に苛立って、上手くいかない現実が虚しくて、朝から布団をかぶって泣いていると父が大声で怒鳴りつけながら何か物を投げてきた。物が体に当たった衝撃よりも心が酷く痛んで息ができなかった。私だってこうなりたくてなっているわけじゃない。情けなくて虚しくて苦しいのに、10代の私はバカみたいに無力だった。このまま、死んでしまいたかった。

 ずっと、親には無条件で愛されているものだと信じて疑わなかった。私という絶対的存在に付加価値として私の善良性や社交性や真面目さや勤勉さがあるのだと信じていた。そのことを疑ったことすらなかった。でも、その幻想は目の前で、父の投げつけてきた物に全て破壊された。10数年信じてきたものはガラガラと音を立てて目の前から崩れ落ちた。私はその様子をただ呆然と立ち尽くして見ていることしか出来なかった。学校に行けなくても、勉強ができなくても、私が健康でいてくれればそれでいいよとただ抱きしめてほしいだけだった。無条件に抱きしめてもらえるものだと思っていた。そんな自分が惨めでたまらなかった。

 親の用意した型には、嵌れない。これは、父と母の娘として生を受けてから20年経ってようやく認めることが出来るようになった事実。そして、嵌れないことに罪悪感を感じる必要はない。こう思えるようになるまで、かなり長い時間を要した。

 希死念慮が自分を蝕んで、毎日死ぬことしか考えられない時期があった。このまま車道に飛び出したら死ねるだろうか、地下鉄の入口に自転車のまま突っ込んで転落すれば死ねるだろうか、海に飛び込めば、川に飛び込めば死ねるだろうか。上手くいかないことが続くと神様にお前はもう死ねと言われているような気がした。そんな妄想に取り憑かれては、何回も自分を殺す手段を探した。でも、踏み潰されて叩きのめされてボロボロの自尊心がまだ私の中で微かに息をしていた。私はその虫のような息を藁にもすがるような思いで真っ暗闇の中、辿っていた。

 真っ暗闇で見つけた今にも消え入ってしまいそうな、か細い息をしていた私の自尊心は、私の中の確かな記憶だった。クレヨンでキリンの絵を描いて褒められた記憶、ピアノの発表会で演奏後に誇らしげにお辞儀をした記憶、テストで100点を取った記憶、友達と喧嘩して塾に行きたくないとぐずった日に兄がリンゴを切ってくれた記憶。何も信じられなかった日々の中で、私はその小さな自尊心を大切に、大切に抱きしめた。それはまだ少し暖かくて、一気に押し寄せた罪悪感に私はごめんね、ごめんねと呟いた。

 そうやって何とか生きながらえながら鬱病と共に過ごした高校生活の終わりは意外と呆気なかった。高校二年生で単位は切れていたので、三月までに留年するか中退すれば決めればいいよ、あなたの人生なんだからよく考えて決めなさいと当時の担任は私に話した。世間知らずで馬鹿だった私はその言葉を文字通りに受け取り、留年という親と共に決めた答えを返すことにした。それが保守的な親と話し合って出た必然的な答えだった。母と共に赴いた学校で留年します、と告げると担任は驚いた様子だった。鳩が豆鉄砲を食ったようとはこういう顔のことだろうか。私が留年することなど思ってもいなかったようで、しばしの動揺の後、ヒステリックに畳み掛けた。こんな問題児を下の学年に預けられるわけがない、もう辞めてくれ。人格を否定する言葉が次々と投げつけられた。肩を震わせて泣く母の横で、私はなんだか恥ずかしい気持ちになっていた。担任の言葉を、私の人生を思う好意と純粋に受け取っていたことが恥ずかしかった。大人は傲慢だと分かっていたはずだったのに迂闊にも信じてしまった、自分の善良さが情けなかった。

 私は同時に、こんなにも傲慢な大人たちに自分の人生の舵を切らせていたことを自覚し、反省した。私は大人たちが私の人生の舵を勝手に切るその様子を漫然と見守りながら、自分の人生に生じた結果の責任をその大人たちに擦りつけて、あろうことか自分を殺そうとした。そうやって自分が死ぬくらいならこの傲慢な大人たちから無理矢理にでも舵を奪い取って、生きてやろうじゃないか。そんなの無理だよ、そっちは危ないからやめなさい、あなたのためを思って言ってるのよ、そんな声が微かに聞こえた気がしたが、私は奪い取った舵を強引にぶん回して大きく方向転換した。これは私のただ一度きりの人生だ。

 傲慢と善良。私が勧めた本はなかなか読まないくせに自分が読んでよかった本は執拗に勧めてくる母はこの本を読んで一体何を思ったのだろうか。私は善良な娘などではなく、時には悪意と嘘を利用する不良な娘に育った。それは傲慢な大人に食い潰されないためのサバイバル術であり、生きていくために必要なスキルだった。そんな娘のことを本書を通じて少しは肯定することが出来たのだろうか。

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