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桜の蕾の頃に

voicyでは何度か話しているけれど、僕は俳句が好き。「余韻」「余白」というものを最大限に楽しむことができる芸術だから。そして桜も同じ芸術性を共有していると思う。満開の時よりも、以下の写真のような、まだ大半が蕾の頃の桜を好きなのは、その「余白」が最大化されるからだろう。

被写界深度を最大限に浅くするのは「余白」づくりのようなもの
開花寸前の桜と、産まれて間もない次男。
長男3歳。
太陽と桜。
この構図は、1ミリ桜が揺れるだけで絵がガラッと変わる
妻と次男
鳥が落としていった桜を拾って

ここからは、2022年。次男は妻のお腹の中。

長男は2歳。
子供には余白しかない
大人だって余白だらけ
伝えたいと思うことが、はじめの一歩
桜の頃はまだ、冬が少しだけ残っているのもいいところ
日の丸構図がふさわしい

余白しかないような桜は、だからこそ、多くを訴えてくる。

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