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旅する様に暮らし 暮らす様に旅をする そんな未来を考えた

移住や多拠点生活など、多様な暮らしが出来る様になっている今

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2020年。この年は、世界が変わった年として、今後も語られるだろう。結果として、それまでの働き方を見直す必要に迫られたことにより、働き方が大幅に変化した人も多くいるはずだ。

リモートワークが主流となり通勤する必要性が以前と比べて少なくなったことから、会社に通うために都心に暮らしていた多くの人が、自分の暮らしや時間の使い方を考える様になったと感じている。何年後かの社会の教科書には、満員電車の写真と一緒にこんな通勤風景もあったと紹介される様になるかもしれない。

会社に通う時間の重要性が住まいを選ぶ中で優先度が下がったことにより、住まい選びの基準が変化し、今まではあまり注目されなかった「まち」や、憧れはあっても、通勤時間がネックになってしまっていた「まち」に、移住をされる方。平日と週末の暮らす拠点を変えるという暮らし方をする人も増えているとのこと。

そして、遠くない未来、スーパーから徒歩〇〇分 JR〇〇線徒歩〇〇分といった不動産情報がそこまで重要ではなくなる社会がやってくると考えている。

空飛ぶ車はまだ無いけれども

Back to the future Part2で描かれた2015年は、もうすでに未来ではなく、過去のものになっている。あの映画で描かれた2015年は、1985年当時に本気考えた30年後の未来だったのだろう。

実際に、今の技術で出来ているものもあるし、それ以上のモノもあったりはするが、2015年から6年経った今でも、車は空を飛びそうもない。ただ、もしかしたら、さほど遠くない未来にハンドルの無い車は出来るのではないか。と思ってもいる。出来れば、それが生ごみを燃料に走る車であれば、最高だ。

自動運転が未来のまちを変えるかもしれない それを支える道路

そして、そうなった時に大切になってくるのが「土木の力」であると思っている。かつて東名高速道路や首都高速を作った際は、これから来たる自動車時代の為の準備を進め、大きな流れを作ることで、各地を近くしていった。

あれから、50年ほどが経った今、自動運転が主流になる時代を見越して、専用レーンの整備や、街中での交通ルールの整備などを踏まえた道路工事が必要になってくるだろう。

東名高速道路や今ある多くの有料道路は、やはり流通網の為という位置付けが大きい様に感じているが、自動運転が主流となった際の道路はより個人にとって身近なモノになり、人々の暮らしに寄り添ったものになっていくだろう。

初めて行っても懐かしく、何度訪ねても新しい 誰もが心地よく過ごすことが出来る場が多くある 「まち」で暮らしたい

テクノロジーや技術が発展した先にあるものとは何なのだろうか。ここ何十年かで、様々な発明があり、その度に多くのヒトの生活は便利になり、豊かになっていった。と同時に、ここ数年、日本では本当の豊かさは何なのか。という議論が多くされてきている様に感じている。

そして、このコロナ禍において働き方が変化する中で、より一層多様な暮らし方が考えられる様になってきた。と同時に、人と人との繋がりをどう持つことが出来るのか。ということが大きな課題として捉えられる様になってきた。

自動運転により、移動することが容易になった未来の世界では「日常」と「非日常」は、今以上に境目が少なくなっていくだろう。そして、そうなった社会では、その「まち」の日常を過ごすという。「旅する様に暮らし 暮らす様に旅をする」そんな毎日を過ごすことが出来る様になるだろう。

そこに暮らす人にとって、不便であると感じることが、実は本当に大切な「日常」となり、「何もない」が「非日常」を作り出す「日常」になる未来がそこにはあるだろう。

地方創生という名のもとで、地方人口を増やそうとし、利便性を高め、交流センターを創ることで、その地域の人口を増やそうとしていくことが、時代遅れになっていくだろう。人と人とを繋がせようと創られた施設では、人はきっと繋がらないし、「まち」のコトを知ることは出来ないのではないだろうか。

多分、一軒目で隣で呑んでいた知らないおっちゃんに、連れていかれるスナックの方が、よっぽど、その「まち」のことを知れるのではないかと思っている。

常連さんとマスターが、お国言葉で話している喫茶店で過ごす時間。えっこんなに熱いお湯にそんなに平然と入れるのは何故と思えるまちの銭湯。トイレに行くまでに他のお客さんに声をかけざるを得ない狭い店。初めて行った時には無愛想だったのに、何度か通うと優しくなってくれる女将さんがいるお肉屋さんなど。

初めて行っても懐かしさを感じながら、通うごとに新鮮さを感じることが出来る。そんな場所が多くある「まち」で、自動運転が普通になった未来を過ごしてみたい。

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テクノロジーが進んだ便利になったその先で、人間臭さを保つのは「人と人とのつ繋がり」ではないだろうか。なんだかすごく面倒臭い。でも、その「面倒臭さ」がなんだかとても愛おしい。そんな「まち」が多くある「未来」があることを、僕は期待している。それが僕にとっての暮らしの中での幸せの指標となる。