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あの夏の沖縄から10年。そしてこの夏 鎌倉で。

10年前22歳から23歳になる僕は、夏を沖縄で過ごすべく、寿町に1泊し早朝便に乗り、沖縄に向かった。

そこからの1か月ほどは、僕にとっては忘れることのできない日々となった。10年前の夏、僕がどのように過ごしたのかは、10年前に書いていたmixiの日記を転記させてもらうことにした。

一人またたび沖縄編

ということで、7月26日から8月23日まで、沖縄は北部国頭郡今帰仁村の夢有民牧場の敷地内にあるゲストハウスにて働いてきました。
一緒のチームのメンバー(キャンプエリアスタッフ)が明ちゃん(韓国人)ロー(イタリア人)そして僕という中での仕事で。

ローとの共通言語は英語で、沖縄での生活の半分は英語で過ごしていました(まさか、沖縄でイタリア人にロングマンの英和辞典を借りるとは思ってもみなかった)。自分が行くまで、ローは英語で愚痴をこぼしたり、相談することも出来ていなかったようで、自分に一気にぶちかましてきた訳で、それでちょっとストレスが溜まってしまったのだけども。お互いに、好きな日本画家が一緒ということが判明し、そこからは急激に仲良くなった。ありがとう、琳派の作家さんたちといった感じ。

で、仕事はどんな仕事かって言うと。

朝・昼・晩のご飯の準備-スタッフ全員で40人程度いるので、昼・晩のご飯の準備は格闘。でも、みんなの反応が早いので、仕事をやった感がある。

トイレ・シャワーの掃除-まぁ~、毎日やらなきゃいけない仕事ではあるのだけども、もうちょい、皆キレイに使えないものかなと思いながら掃除をしていた。

外国人への電話対応-これは、冷や汗たらたら。自分の言葉でなんとでもなるから。でも、自分が電話をとったお客さんが実際に足を運んでくれて、「お~、君があゆむか。電話ありがとね。」みたいなことを言ってもらうと、よっしゃってなる訳で。

お部屋のセッティング-客室のリネンやら、バスタオルやらをきれいな物に取り替えて、お部屋を掃除するお仕事。これは、部屋がサウナ状態の中でやる仕事だから、嫌な汗かきまくり。

どんな場所かは、YUKIのPV「ランデブー」を見てもらいたい 。

お風呂沸かし-人生初の薪を使ってのお風呂沸かし。一人になれるので、大好きな仕事だった、一人になる時間の大切さを改めて感じる。

ローとチームメンバー(ゲストハウス隊)との通訳となだめ役-自分が行った初日から、帰るまで任された仕事、牧場の手伝いとかで、1日空けると、その夜にローの愚痴を聞くこととなる。           

あとは、たまに牧場のお仕事の手伝い、牧場の仕事では、馬や牛やらと関われて、ヤギのえさを採りにいく時に軽トラの荷台に乗れたりするし、乗馬の手伝いでいくと、きれいな海にも入れるから好きだった(馬のぼろ掃除のためなんだけどね)。

そんなこんなで、仕事を結構やっていたのだけども、楽しい思い出もいっぱいあって。

男三人で夜のゴッパチを車で走りながら、かりゆし58のナナをカーステで流しつつ熱唱したり。(その後、いった海で私の携帯電話水没→奇跡の復活→携帯電話不調)

23歳から26歳の男6人で、名護ジャスまで行って、しこたまお酒を買ったにも関わらず、ほとんどのお酒を車の中で消費してしまい、勿論ドライバーは飲んでないよ。で、結果やんばるのドンキことずけやまで、お酒を買いなおし、展望台で男語りをしたり。

ウッパマビーチで雨の中で花火をしたり。あまりにも、花火に火がつかなすぎてびっくりしたのだけども。やばいあのきゃぴきゃぴについていけないぞと男2人で悩んだりもしたけどね。

その日が流星群の日とは知らずに、天気が良いからと、展望台に行ったら、すっごく長い流れ星が見れたり。

旅で来たお姉さん方に可愛がってもらって、お酒を飲ませてもらったりと、まぁ~これが原因でローと軽い痴話喧嘩をしたのだけども。

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こっちでは経験できないことがあっちでは経験できて、自分の英語が何とかコミュニケーションとれるレベルであると自信がもてて、なんだかんだ体力があることも知り、ちょっと自分に自信がついた旅でした。

もぉ~あのメンバーであの場所で仕事を出来ないのは、さびしいけれども、思い出はあの場にあります。

追伸、やっぱり自分は高橋歩よりも、ロバートハリスや小田実さんの方が好みです。

というのが、10年前の夏。あの夏を過ごしたあのゲストハウスは、あの場所にはもうない。そして、その当時の僕は、寿町で泊まったホステルで働く等、想像もしていなかっただろう。

10年後の夏鎌倉編

卒業論文で、旅人として地域に入り、旅人視点で町を視るということと、また、旅人を迎える側として、旅人を視た観点を日記に記し、それをまとめた僕が、今は鎌倉のゲストハウスで旅人を迎える仕事をしている。

ただ、今年の夏は、どうやらいつもの夏の様にはいかない模様であるというコトが緊急事態宣言を受け、休業をした後、営業を再開した際に分かってきた。その時点でどのような対策が出来るのかを考えた際に出てきたのが、リモートワーク応援マンスリープランであった。

マンスリープラン 8月告知

奇しくも10年後の夏の鎌倉で、あの夏の沖縄の様に、1か月間の間、あの夏の僕の様に、いつも過ごしている場所とは違う土地で過ごす人たちを迎える立場となった。

そして、それぞれの宿泊者(マンスリープラン利用者)を視ている中で、過ごす場所で人は考え方や生活のスタイルが変わるというコトを強く意識するに至っている。

メンバーの一人に話を聞いて、書いた記事はこちら


6月からスタートしたこのプランも好評を得て、第3弾の販売が決定した。販売決定後に書いた記事も読んでいただけると嬉しい。

海が大好きで、海の近くで働きたいと思い始まった今の働き方。そして、今僕はきっと誰かの暮らしを変えているんだと感じながら働いている。今年の夏は、きっといつもの夏の様にはいかないだろう。

だからこそ、忘れることの出来ない夏に出来るかもしれないと僕は思っている。