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義足の物乞い爺さんは、割といい暮らしをしていました。カイジの世界の如く、困窮とバイタリティが渦巻く、新大久保

 前々々回のエントリーで、新大久保の話を紹介しました。

 わたしが体験した8月の頭の衝撃的な出来事。駅そばの公園にふらっと立ち寄ったところ、茂みの中に人間の死体を発見し、まさかの第一発見者になってしまったというエピソードです。

 その記事を書きながら、何気に考えたことがありました。

 それは、新大久保に漂う、歌舞伎町のベッドタウンという地域性ならではの”孤独”や”経済的困窮”や”人間のはかなさ”といったわびしい空気感。と、だからこそ何としても奪ってやる! 生きてやる! というさながらカイジの世界のような人々のバイタリティの渦です。

 前々々回のエントリーで、前者については何となく言及しましたが、後者については触れてませんでした。

 そこで本日は、その後者について書いてみたくなり、ふと思い出したエピソードがあります。

 知人から聞いた新大久保住人『義足の物乞い爺さん』の話です。

 その爺さん、片足を欠損していて義足を使っている方なんですが、物乞いの際、同情を買いやすくするためでしょう、義足をあえて外して見せびらかすというこをやっている人物だとか。

 いまどき、傷痍軍人みたいなことをやっているというそのバイタリティ、是非はともかく、凄いじゃないですか。

 ってことで、その話を紹介しましょう。

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