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自然淘汰の結果としての心と文化

生命は、激烈な闘争と自然淘汰の結果として存在しているが、命をかけ暴力を使うことなく、試行し、誤りを排除できる方法が発現し、圧倒的な優位を獲得した。それは、人間の心と、文化(世界3)の発現である。(カール・ポパー(1902-1994))】

 「各章であまり明示されていなかったが、明示すべき最後の点は次のことである。
 (9) 自然淘汰と淘汰圧は通常は、生命への多少とも激烈な闘争の結果として考えられる。
 しかし、心、世界3、理論の発現によってこれは変わる。われわれは理論を最後まで戦わす――われわれの代わりに理論を死に至らしめる。自然淘汰の観点からは、心と世界3の主要な機能は、われわれ自身を暴力的に排除することなく、試行と、誤りの排除という方法を適用することを可能にすることである。この点に、心と世界3の偉大な生存価値があるのである。したがって、心と世界3との発現をもたらすことで、自然淘汰は自らとその元来の暴力的性格を超越する。世界3の発現によって、淘汰はもはや暴力的である必要はなくなる。われわれは非暴力的な批判によって誤った理論を排除できるのである。非暴力的な文化的進化はユートピア的な夢ではなく、むしろ、自然淘汰を通じての心の発現の可能な結果の一つなのである。」
(カール・ポパー(1902-1994)『自我と脳』第1部、P6章 要約(上)pp.319-320、思索社(1986)、西脇与作・沢田允茂(訳))
(索引:自然淘汰,心,文化,世界3)


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