命題集 未来のための哲学講座

当noteは、https://sententiarum2.blogspot.com/ の補足などを掲載します。 利用方法/運営方針・理念:https://sententiarum2.blogspot.com/2020/04/sententiarum.html

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    最近の記事

    ある行為の全結果の比較

    善い目的は悪い手段を正当化するかどうか。中間的な結果が悪くても最終結果が良ければいいというのは、錯覚である。最終結果とは何か。そこで何かが終わるのか。中間結果も最終結果も、全てかけがえのない現実である。我々が比較対照しなければならないのは、ある行為の進路の予見しうる限りの全結果と、別の行為の進路の全結果である。(カール・ポパー(1902-1994)) 、 「(c)第三の重要な点は、最終結果としてのいわゆる「目的」が中間的な結果である「手 段」よりも重要だと考えてはならないと

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      • 大きな悪を避けるための手段として悪

        「だが、想定された因果連関が成り立つ、換言すれば手段と目的について語ることが適切で あるような状況が存在する、と仮定しよう。その場合、われわれはもう二つの問い、(b)と (c)を区別しなければならない。  (b)因果関係が成り立ち、またわれわれがそれを確信することが合理的であると仮定する と、問題は主として二つの悪――企図された手段の悪とこれらの手段が採用されない場合の生ず るに違いない悪――のうちの軽い方を選ぶという問題になる。換言すれば、目的のうちの最善の 要素がそれ自体

        • 善い目的は悪い手段を正当化するか

          「善い目的は悪い手段を正当化するかどうかという問題が生じるのは、病人の心を平静にす るために彼にうそをつくべきか、また人々を幸福にするために彼らを無知のままにしておくべ きか、また平和と美の世界を建設するために長くて血なまぐさい内乱を開始すべきかというよ うな場合からであるように思われる。  これらすべての場合において、企図されている行為は、善であると見なされている二次的な 結果(「目的」と呼ばれる)を引き起こすために悪であると見なされている一層直接的な結果 (「手段」と呼ば

          • ユートピア主義への批判

            「この論点を一般化すると、ユートピア的態度への更に進んだ批判になる。この態度が実践 的価値をもちうるのは、おそらく若干の修正は加わるとしても、もとの青写真が完成に至るま での作業の基礎であり続けると仮定する限りにおいてであることは明らかである。だがこれに は時間がかかる。それは政治的にも精神的にも革命の時期であろうし、政治の分野での新しい 実験や経験の時期であろう。それゆえ思想や理想も変化することが予想される。もとの青写真を作成した人々にとって理想国家と思えたものが、その後継

            • ユートピア的態度

              合理的な行為は一定の目標を持つ。それは、目標を意識的かつ整合的に追求し、この目的に適うようにその手段を決定する。それゆえ我々が合理的に行為したいと思うなら、最初にやるべきことは目的の選択である。これは正しいのか。何が問題になるのか。(カール・ポパー(1902-1994)) 「ユートピア的態度は次のように記述できよう。合理的な行為はどれも、一定の目標をもつ はずである。それは、目標を意識的かつ整合的に追求し、またこの目的に適うようにその手段 を決定する程度において合理的なもの

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              • 制度による選抜の弊害

                制度による選抜は、常に自発性と独創性、より一 般的に言えば異常な性質や予期されない性質を排除しがちである。これが教育制度に適用されると、学生には個人的経歴と選抜に必要な知識習得のみが奨励されることになる。知的指導者の選抜という要求は、科学と知性の生命そのものを危地に陥し入れるのである。(カール・ポパー(1902-1994)) 「われわれはここで若干の重要性をもつ、また一般化できる結果に導かれた、と私は信じ る。傑出した者を選抜するための制度などというものを考案することはほと

                • 個人主義

                  人間の人格は永遠の価値を持ち、目的そのものである(個人主義)。この思想は、平等主義以上に、人道主義信条の擁護の砦であった。正義とは個人に関わるあるもの(アリストテレス)、個人は常に目的であって単なる手段ではない(カント)、汝の隣人を愛せ(聖書)、部族をではない。(カール・ポパー(1902-1994)) 「ところで、プラトンやたいていのプラトン主義者にとって、利他的個人主義(例えばディ ケンズの場合のような)というものは存在しえないということは興味深い。プラトンによれ ば、集

                  • 倫理的決定

                    規範を事実の上に基礎づけることは不可能である。我々の倫理的決定の責任は全く我々にあり、神や自然や社会や歴史等に転嫁することはできない。それにもかかわらず、一元論へ向う一般的傾向と責任への恐れから、我々は権威を求めるが、その権威を受け入れるか否かは、我々の選択なのである。(カール・ポパー(1902-1994)) 「(3)心理学的ないし精神的自然主義はある意味で前の二つの見解の結合であり、これらの 見解の一面性に対する反論の形で説明するのが最も適当である。倫理的実定主義者がすべ

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                    • 心理学的ないし精神的自然主義への批判

                      規範を事実の上に基礎づけることは不可能である。これに対する反論として、規範が人間の心理学的、精神的本性、人間社会の本性から導出できると主張する心理学的ないし精神的自然主義がある。しかし、およそ人間の心に浮んだ事柄で "自然的"でないものなどあるだろうか。(カール・ポパー(1902-1994)) 「(3)心理学的ないし精神的自然主義はある意味で前の二つの見解の結合であり、これらの 見解の一面性に対する反論の形で説明するのが最も適当である。倫理的実定主義者がすべての 規範は規約

                      • 倫理的実定主義への批判

                        規範を事実の上に基礎づけることは不可能である。これに対する反論として、倫理的、道徳的ないし法的な規範が現存するかどうかは社会学的な事実問題であると主張する倫理的実定主義がある。しかし、事実として存在しても、それをもって基礎づけられたと言えるだろうか。(カール・ポパー(1902-1994)) 「(2)倫理的実定主義は、われわれは規範を事実に還元するように試みなければならないと いう信念を倫理的自然主義の生物学的形態のものと共有している。だが今度は、事実とは社会 学的事実すなわち

                        • 生物学的自然主義への批判

                          規範を事実の上に基礎づけることは不可能である。しかし、規範の恣意性に対する反論として、それらの規範を導出できる自然法則があるのではないかと主張する生物学的自然主義がある。確かに"自然な"行為はあるかもしれない。では、我々の文明や文化は自然なのか不自然なのか。(カール・ポパー(1902-1994)) 「以前に指摘したように、素朴ないし呪術的一元論から規範と自然法則の間の区別を明確に 自覚する批判的二元論に至るまでの発展には、多くの中間段階がある。これらの中間的な立場 は大抵、

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                          • 予言と技術的予測

                            予測対象に干渉してしまう予測があるのは、事実である。しかし、科学的予測は、社会現象に対しても意味があるし重要である。まず、理論の検証・反証のための予測と、実践的価値を持つ予測がある。例えば、介入困難な対象の予測(予言と呼ぶ)や、ある目的を持って介入するための予測(技術的予測、設計)などである。(カール・ポパー(1902-1994)) 「たしかに一部の歴史主義者は、人類の遍歴のすぐ次の段階を、しかも非常に慎重な言葉遣 いで予測するだけで満足している。それでも、〈社会学的研究は政

                            • 状態の歴史性、新奇性

                              生物や人間、社会の歴史性、新奇性とは、現在の状態の中に埋め込まれている過去の記憶が、情報として、系の変化と未来の状態に大きな作用を及ぼすという特性の別名である。現在の状態の中にその情報を読み取るのが困難な場合、過去を知ることが、その情報を読み解く代替策となる。(カール・ポパー(1902-1994))「物理的科学の方法を社会科学に適用できないことについては、さらに深い理由があると、 多くの歴史主義者は考えている。      すべての「生物学的」科学、すなわち生きている対象を扱う

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                              • 仮説モデルとしての社会的存在

                                制度や団体などの社会的存在は、個々人の抽象的関係の中のある選択された側面を解釈するために構成された抽象的なモデルである。第0次近似モデルとして、完全に合理的な個人の集合モデルを構築し、これからの乖離で現実社会の評価をする等の手法もあり得る。(カール・ポパー(1902-1994)) 「ここで、複雑性の問題(第4節参照)について、ごく簡単に付け加えておこう。個々の具 体的な社会状況が、その複雑性ゆえに分析困難であることに疑いの余地はない。しかし同じことは個々の具体的な物理的状況

                                • 政治権力と社会的知識の相補性

                                  政治権力と社会的知識は相補的である。権力が強くなるほど、自由で批判的な思想とその表明は抑制され、最終的には知識が破壊される。たとえ善意であっても、集権化が必要な政治改革の企ては、個人の違いを無視することで問題を単純化し人々の関心や信念を統制しようとする。(カール・ポパー(1902-1994)) 「全体論的計画に科学的方法を取り込むことには、これまで示してきた以上に根本的な部分 で難点がある。全体論的な計画を立てる者は、権力を集中することは容易であっても、多くの 人々の頭の中

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                                  • 社会理論と社会の相互作用

                                    社会理論は、それが言及する対象に影響を及ぼす(オイディプス効果)。認識者がこの影響を意識したとき、対象の状況が理論に逆向きの影響を及ぼす。その結果、理論には特定の時代に支配的 な嗜好や、政治的、経済的、階級的利害が反映される。そうだとすると、社会理論の客観性とはいったい何なのかが問題となる。(カール・ポパー(1902-1994))  「6 客観性と価値判断  ここまで見てきたように、社会科学の分野での予測の困難さを強調する際に、歴史主義は、 予測が予測されたことがらに与える

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