中核自己
「私の見たところ、原自己の決定的な変化は知覚される各種の対象との瞬間ごとの関与から来るのだ。その関与は、その対象の感覚的な処理と時間的にきわめて近い範囲で生じる。生命体が対象に遭遇すると、それがどんな対象であれ、原自己はその遭遇で変化を被る。なぜなら物体をマッピングするためには、脳は身体を適切な形で調整しなくてはならないからで、さらにそうした調整の結果とマッピングされたイメージのコンテンツも原自己に信号として送られるからだ。
原自己への変化は、瞬間的に中核自己の創出を開始させ、一連の出来事を引き起こす。その一連の中で最初の出来事は、原初的感情の変化であり、それが「その対象を知っているという感情」をもたらす。これは、その対象をその瞬間の間は他の対象と区別する感情だ。第二の出来事は、知っているという感情の結果となる。それは接触している対象に対する「重要性」を生み出す。この場合の関心/注意のためには、ある特定の対象に対して他の対象よりも処理リソースを注ぎ込まねばならない。つまり中核自己は、変化した原自己を、その変化の原因となった対象と結びつけることで生み出される。その対象は、いまや感情によって重要なものとされ、関心/注意によって拡張されることになる。
このサイクルの終わりで、心は単純でとてもありがちな出来事のシーケンスに関するイメージを含む。その対象は、ある特定の視点から見られたり触られたり聞かれたりしたときに身体を関与させた。その関与は身体に変化を引き起こした。その対象の存在が感じられた。その対象が重要とされた。この一連のシーケンスだ。 こうしたいつまでも起こり続ける出来事の非言語的な物語は、心の中でそうした出来事が起こっている主人公がいるのだという事実を描き出す。その主人公とは物質的な自分だ。この非言語的な物語での描き方は、主人公を造って明らかにすると共に、その生命体により造り出された行動をその主人公に結びつけ、そしてその対象と関与することで生み出された感情とともに、所有の感覚を生み出すのだ。
単純な心的プロセスに追加され、意識ある心を生み出しているのは、一連のイメージ、つまり生命体のイメージ(これは変更された原自己という代理物が提供している)、対象に関連した情動反応(つまりは感情)のイメージ、瞬間的に強調されたその原因たる対象のイメージだ。《自己が心にやってくるのは、イメージという形を取ってのことだ。そのイメージは、絶え間なくこうした関与の物語を語り続けている》。変化を受けた原自己と、知っているという感情は、ことさら強いものである必要さえない。どんな微妙な形であれ単に心の中にあって、ほのめかしより多少は強く、対象と生命体との間のつながりを提供すればいい。結局のところ、プロセスが適応性を持つためには、最も重要なのはその対象なのだから。」
「中核自己メカニズムの模式図。中核自己状態は複合体だ。主要コンポーネントは、知っているという感情と対象の重要度となる。他の重要なコンポーネントは、視点と所有の感覚と発動力(agency)だ。」
対象→原自己→変調された原初的感情
↑ 変調されたマスター生命体
│ │ ↓
│ │ 視点
│ ↓
│ 知っているという感情
│ ↓ │
└─────対象の重要性 ↓
所有の感覚
発動力
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『自己が心にやってくる』第3部 意識を持つ、第8章 意識ある心を作る、pp.242-243,251、早川書房 (2013)、山形浩生(訳))
(索引:中核自己)
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