時代の終わりに
私がそのサービスを利用しはじめたのは、2007年の夏頃。ちょうど大学1年生の夏休みだったと記憶している。
その当時は早期アクセス(登録)者が優先的にアクセス権を得て、我々後発勢は時間帯を指定されながらの利用だった。
昭和の時代、電気屋のショーケースに飾られたTVに群がる大衆のように
平成初期、トレンディードラマに夢中になったお姉様方のように
レンタルビデオを借りてきて、友達の家で一緒に見たあの日のように
それまで夜に見ていたドラマやバラエティ番組の感想を、翌日登校した際に友人と語り合う。そんなタイムラグを、ひとつのインターネットが24時間繋がれるものへと進化させたのである。
そう、ニコニコ動画というコンテンツが私の人生を大きく変えたのである。
マイノリティを肯定してくれる
それまでの私は、やっぱり少し変わった子供だったのだと思う。
一番好きなRPGは何?と聞かれて、私の世代はドラクエかFFの他に、テイルズとポケモンを挙げる人が少なくない。
ポケモンはもはやRPGという枠を超えて、ポケモンというジャンルを築いてしまった作品ではあるものの、とはいえ定義上はRPGで間違いないと思う。
要するにこの四天王が圧倒的なシェアを誇り、それ以外を選ぶ人間はマイノリティ。
ここで記しておかなければならないのは、私はこの四天王すべて好きだという事。
・ドラクエならⅣ
・FFはⅥかⅫ
・テイルズはシンフォニアかジアビス
・ポケモンは金銀
そう、私は人並みにメジャーなタイトルも愛して止まない。というより、マイナー作品に触れ始めたのは割と大人になってからだと思う。
とはいえ…幼少期から最も敬愛するRPGが何だったかと言えば、
それはMOTHER2に他ならないのだ。
当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったキムタクをCMに起用しているあたり、決してマイナー作品とは言い難かったかもしれないが、それでも私の通う学校で、MOTHERの事を語れる友人はひとりもいなかった。そう、ただの1人もだ。
この楽しさを共有できない。そのもどかしさは自分の内側に澱のように溜まっていく。
ファイアーエムブレムもそうだ。今でこそNINTENDOの顔の一つのような面をしているが、当時はやはりオタク向けの作品だった。
ドラクエやポケモンのように、何百万本と売れるキラーコンテンツではなかった。
その澱が澱ではなく、感情を爆発させる為の火薬だった事を、ニコニコ動画に出会ってから知ることになる。
え、MOTHER2ってこんな市民権を得た作品だったんだ。
※視聴注意
MOTHER2はそんな自分の気づきの第一歩でしかなく、その他にも沢山のカタチで、私の澱を解消してくれた。
いいんだ、この作品が好きでいいんだ。だってこんなにも沢山の仲間がいるじゃないか!
そう思った頃には、私の生活は狂いはじめていた。
没頭しすぎて大学留年
大学を留年した件については、理由はひとつだけではない。長年やっていたオンラインゲームが主因のような気もするし、単なる人間不信になっていた側面もあるし、それこそ、ニコ動にハマりにハマってしまい、気がつけば朝4時・5時が当たり前。
完全に昼夜が逆転してしまった。
ニコニコ動画は、良い方向にも悪い方向にも私という人間を変える魔力があった。
そしてその私は、きっと私だけを指す一人称ではないのだと思う。
沢山の私が、人生を狂わされた。
オワコンと呼ばれてもなお
そうしたコンテンツが、オワコンと言われて久しい。Youtubeの台頭と、niconico運営の怠慢(選択と集中の間違い)があったのだと思う。
それでも2007年から2023年12月7日現在に至るまで、私がニコ動を開かなかった日は、恐らく1日として無い。
だから私がニコ動を辞める日は、きっとサービス終了の日までやってこないと思っている。
しかしながら、敬愛する人物の活動方針の転換にはやはり逆らえないものがあるのだ。
西美濃の活動についてのお知らせです
— 稲葉百万鉄 (@fuhiky) December 5, 2023
◆西美濃八十八人衆としての動画投稿について◆ https://t.co/yMcBXz160r
稲葉百万鉄という人物は、本当に動画制作者として面白いのは勿論、文章を書かせても天下一品だと思う。
赤裸々に、正直に、今のニコニコというものの捉え方を語り、それでいて我々のようなニコニコ残党の気持ちも慮ってくれる。
そんな氏が、個人としての活動はニコニコでも継続していくが、友人のがみ氏との活動については、Youtubeに完全移行するという声明を発表した。
ありがとうという感謝の気持ちと、ああ…時代が終わる、という複雑な気持ちが綯い交ぜになる感覚。
私が私である為に
少なくなったとはいえ、あの当時マイノリティを肯定しあえた私という集合体は、段々とその勢力を落としているところだ。
何故なら大半の私は、創る側ではなく貰い受ける側だからだ。創造主の私がいてこそ、私は私でいられる
創造主の私がいなくなればいなくなるほど、私は共感・肯定という行為を出来なくなっていくのだ。
ニコニコ動画は、今そういうところまでやってきてしまっている。残念な事ではあるけれど。現実問題そうなのだ。
それでも私は私であり続ける為に、今日もニコニコを視聴する。稲葉氏のガンパレ実況もまだ見ていないし、昨日唐突に見直しをはじめたドリフターズが面白くてたまらないのだ。
たとえコンテンツとして真に終わる日がきたとしても、私にとってニコニコは、私を肯定できる最後の砦。誰にも譲り難い聖域なのだ。
まあ、Youtubeの方が1日のトータル視聴時間長いと思うけどね。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?