社会的欲求、上書き

 この世の中は認められたい人で溢れすぎている。

 今日は地域活動で参加させていただいている団体の長から緊急招集がかかったので、今ほど行って帰ってきました。

 私たちの活動を事細かく説明はしませんが、端的に言えば、

とある施設の維持修繕の為に、収益活動を行い、売上の一部を使ってその建物を未来へ繋ぐ活動をしています。

 そんな活動を昨年末から検討しだして、本格的に動き出したのが3月から。4月も行ったし、各々の繁忙期が重なる9月や雪が酷くなる1~2月以外は、まったりじっくり活動を浸透させていく期間と捉えていました。
 一番若手が私で35なのですが、一番上でも49歳、地域でいえばまだまだ若手の部類ですけど、そんな私たちは気長に物事を捉えていて、2・3年続けて賛同者が徐々に増えていってくれたら良いよね。というようなスタンスで動いていました。

異物混入

 その建物は、限界とまではいかないものの、準限界集落とでも呼べば良いようなところにあるものでした。
 我々のやっている活動に対し、概ね賛同してくれる方たちが多く、手応えもそれなりに感じていました。

 しかし、異物が混入します。

お前さんたちのやっている地域活性化策は素晴らしい!俺達も応援するぞ!
具体的には6月と7月と10月と2月に俺達もその建物でイベントやるから協力頼むな!

 こういう事を言いだしたのは、地域の区長さんと元区長さん。両者ともに70オーバーのおじいさん達です。
 地域活性化・・・?我々はそんなワードを一言も発したことはない。我々が望んでいたものはもっとミニマムで、とある建物の維持・修繕・存続だ。

 その爺さんたちは、我々の目的とするその建物を手段と捉え、地域活性化を目論もうとしていました。

結果的にやろうとするものは近いが・・・

 結果的にはですね、私たちがその建物を維持存続していく事で、地域の活性化が図られる事は事実なんです。しかもその建物を拠点に毎月イベントを開催していくので、そういう意味で観光収入も得られます。地域への波及だって、小さいけれどあるかもしれない。
 でも我々の第一義はあくまで建物の維持存続です。

 爺さんたちの考え方は真逆で、地域活性化を第一義とし、その手段として建物を使わせてほしいというものでした。

 ここまで読んでくれた人になら包み隠さず言えますが、建物は廃寺なので、いわば公共物として地域住民や元檀家さんの手によって維持存続が為されていたものです。

 だから私たちが2年前から毎月掃除活動を行っていようが、細々と頑張っていこうと考えていようが、その建物は地域住民にとって広く開かれた場でなければならないという側面を持ち合わせています。

 となれば、じいさま方がやりたいというその計画を、全面から否定するなんて事は、我々には出来ないのです。

魂の存続

 と、大人の折り合いをつけるべく、こちらの会の側の回答として妥協点を見つけるべく会合に参加してきたわけですが、1人私たちのメンバーで過激派がいます(笑)
 その人が言います。

この人たちが入ってくるなら私は会を抜ける。即座に抜ける。

 気持ちは分かる。その人はこの活動に他の誰よりも熱を入れ、時には会の仲間内ですら衝突をするほど熱い思いを持ってくれている人だ。

 そんな人からしたら、自分たちがやっている活動を掻っ攫われるだけならまだしも、全く理解せずに自分たちのやりたい事に上書きしようとしている爺さんたちを許せない気持ちはすごく分かる。
 それほどの熱を持ってくれている人が会を抜けるという事は、それはつまり会の魂を失うも同然であり、開始2ヶ月にして早くも会の存続が危ぶまれる危機的状況なわけである。

 かといって上で述べた通り、爺さまたちの考えを真っ向から否定するような権力も権利も我々は持ち合わせていない。

折り合いはつくのだろうか?

 結果、その熱い思いを持つ方は途中で退席されてしまったのだけれど、じゃあその人が帰ったからこの緊急招集会合はこれで終いだね、とは出来んわけでね。

 残った親方殿と、年長者、私の3人で何とか爺さん会と魂さんとの折り合いをつける妥協点を探し続けてきたのでした。

 誤解のないように伝えておくなら、私や他のメンバーも魂さんの側の意見に全面的に賛同するんです、心情的にはね。
 でもそうはいかない現実があるわけで、その折り合いをつけるべく、あーでもないこーでもないと議論を重ねてきたわけです笑

結果的に

◯物理的棲み分け案が3策
・年間1回ほど、爺さま方にその建物でのイベントをお任せする月を設ける(私の案)
・午前中は我々、午後は爺さま方など時間的な融通
・建物を爺さま方に委ね、我々は別の場所で活動を継続(流石に妥協しすぎと私は思う)

◯お互いの活動にお互いが一切関与しないという念書の策定

◯あくまで活動は主催団体ごとのものであり、建物由来のものではない(我々は我々・爺さま方は爺さま方)という棲み分け。


 この3案を軸として、もう一度議論を重ねた上で我々の側としての意見としてまとめ、爺さま方と話し合う事になりました。

活力はどの世代も等しいが

 老い先が短い分だけ、爪痕を残したいという感情は我々若者よりも年配者の方が強いのかもしれないなと、そう感じました。

 地域の為になにかやってやりたい。

 素晴らしい考えだと思います。誰がしかが始めたものに便乗してくることも良いでしょう。

 だけど上書きだけは、違いますよ。


 どんな世代にも等しく機会は与えられるべきであり、何歳からでも挑戦はしてもいい。
 だけど自分がやっている行いがズレたものになっていないか?他者に迷惑をかける行為になっていないか?

 そうした第三者目線だけは、いつになっても持ち続けねばならないと思います。
 私たちの団体への自戒の念も込めてね。自分たちのやっている行為すべてが正しいとは全く思っていませんけど、爺さま方を否定してしまうという事は、つまりはそういう側面も持ち合わせるわけで。

 なにごとも中庸を心がけたいと願う、人生半分ぐらいまできたおじさんの戯れ言でした。

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