ホロスコープから「読まない」ということ。
本当に大変な時は、占いを見る余裕も自分を振り返る気持ちも無くなってしまうんだなーと思った。気がついたら太陽はおうし座に入り、火星は魚座に移っていた。時間が経っていた。
悩みには「悩む余地のあるもの」と「悩んでも仕方がないもの」があり、前者が「改善する余地がある」ことだとしたら後者は「余地のない決定」なのだろう。
先日、畑の隅っこに飼い猫の骨を埋めた。食べなくなって病院に連れていって、10日後にはお骨となって私の腕の中にいた。長らく17年愛していた猫だったので、とてもとても悲しく、今もその現実が泡のように感じる。辛くなるので家族同士でも、この話題には触れないようにしている。話さなければ未だ部屋のどこかに居る気がするのだ。
生死という決定が下りた時、占いに頼ることは無い。それは事実だから。でも時間が経過して、ふと「あれは何だったのだろう」と思った時、ようやく「振り返る素材」として占いが出てくるのかもしれない。過去をなぞる癒しとして。
ホロスコープで「原因」を探すことは出来る。けど「答え」を探すことは出来ない。そしてその事象が既に終わったことなのだとしたら、視点は未来に向かった方が良い。
今回、愛猫の看取りと同時進行で仕事が猛烈に忙しく、気持ちに余裕が無いと絶対起こしてしまう私の同時多発ミステロ(てへぺろに似ている、、、)で様々な対応を求められたのだけど、ここは自分のホロスコープ、特に「自分に課せられている課題・ドラゴンヘッド」を意識して対応した。
愛猫がいなくなったことは「余地が無いこと」で、取り組まなければいけない問題は「余地が有ること」だ。
私はドラゴンハウスが6ハウス蠍座なので、お客様の心情と求めていた事を文面の裏側から読み取り、心から対応すること。
「そうなんです~こういう理由で」と自分の側のやり方で通す「安易に流れがちなドラゴンテイル・12ハウス」ではなく、この言葉の裏で知りたかったのはこういう事なのかもしれない、という事をしっかりくみ取り(蠍座)、現実的な面を踏まえ丁寧に自分の言葉で伝えるということ(6ハウス)
すると、お客様から返ってくる言葉もまた深く感銘するもので、いろいろな事が未来に繋がるのを感じた。
ホロスコープの中に全ての正解があるということは無い。生死や相手の心情、動きは自分の範囲(ホロスコープ)の中だけでは絶対に計れない。
何を読み、何を読まないのか、それを選択していくことも大切なことだと思う。
ほいではまた。
エリ
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