「本日の告白」についての考察
昨日「本日の告白」という記事を書きました。
承認欲求、マウント、すごいと思われたい!そんな強烈な外向き意識から発言をして、とても恥ずかしく自分に対して苦々しい思いをしたという話です。
それについてもう一つ思ったことを書きます。
昨日私が外向き意識のまま相手に話してしまったその話の内容は、実際のところ本当に素晴らしい内容の話です。私の意識が拡大しているからこそ、私の中を純粋なエネルギーが流れているからこそ生み出せた素晴らしい現実。
そんな意識状態にいられる自分のことを自分で素晴らしいと思っているし、過去の私からの成長っぷりはアスリートレベルだと思っています。
なのに、どうしてそれを相手に話すことが承認欲求になってしまうのか。
それは、私が自分の中の自慢げなところ、傲慢なところ、マウント性を許していないからだと思いました。
自分が本当にすごいと思うことなら、自慢だろうが、傲慢だろうが、承認欲求だろうが堂々と話したらいいじゃないか。
思いっきり、傲慢さをむき出しにして、相手よりも高い位置から見下ろすように、堂々と自慢したらいいじゃないか。
でも、堂々と自慢する、堂々と傲慢さを表に出す、こういう表現をした瞬間に、それは自慢でも傲慢でもなくなるのだと思います。それは、自分のことを心底素晴らしいと思っている人が話す、素晴らしい話。
そういう全てを許容する立ち位置からする話は、相手にも気づきをもたらす。結果、自分の自慢話をしているようで、相手のためになっている会話になる。
どんな自分をも認めて許したところから、素直な自分になっていって、相手と透き通ったコミュニケーションが始まっていく。すべては、自分への許し・許可ですね。
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