第8回展示会に出す予定の「写真週報」1944年9月20日発行号を紹介
展示会には、いろんなものを出してきていて、この「写真週報」も展示品として役立っています。しかし、古いものなのである一場面のみしか基本、紹介できません。そこで、今回は展示を予定している「写真週報」の隠されている部分も含めて紹介し、当時の政府が何を求めていたか、伝えてみたいと思います。
表紙は土浦海軍航空隊の訓練の様子。「操転器」という球状の鳥かごのようなものの中に入って自在に転がすことで、平衡感覚を養う訓練です。巻頭言にもあたる「時の立て札」は「僕の行く手は雲と空 若い力の根かぎり鍛へ鍛へて 勝を決せん」とあります。特集とは銘打ってないですが、とにかく飛行機の話を集中させています。
表紙が海軍なので、バランスをとってこちらは大本営陸軍報道部が、三重県明野の陸軍飛行部隊などを紹介しつつ、「航空戦力の充実に一切の労力を捧げようではないか」と増産への努力を訴えます。
「われ翼もちたり」と題して、滑空機による訓練の様子を紹介しています。この写真週報は2枚を折っただけなので、中央見開きは外して大きく張り出すことができるのが、利点といえば利点でした。
中央の一番大きな写真は、長野県の霧ケ峰高原での戦時中級特別訓練を撮影したものです。霧ケ峰は戦争の前から滑空機の飛行が盛んだったこともあり、戦時に入ってより盛んに使われることに。この時は大日本飛行協会による陸海軍少年飛行兵志願者のための戦時特別航空訓練指導員養成の最中でした。
上写真のように、このころはゴム索を人力で引っ張って張りつめて飛ばしていました。結構な重労働だったと思われます。
6ページ目は飛行機生産現場の写真。7ページ目は白金回収の呼び掛けです。
いちおう、買い取りでしたが、何に使うかは説明していません。実は、ロケット戦闘機「秋水」の燃料過酸化水素水の製造に使う電極にするためでした。結局、燃料も機体も量産体制に移行する前に終戦となるのですが、集めた白金は、どう始末をつけたか、気になるところです。
最終8ページは、まんがや防火の話題が上半分、下半分は茨城県真鍋国民学校に設けられた「航空走路」を紹介しています。飛行機に乗った時の平衡感覚などを養う狙いでした。
友達を背負って走り、転がり、石段を駆け上るなどで持久力を高め、上写真の「旋回壕」で目が回らないように素早く走り、空中戦に大切な訓練となる、としています。長野県の松本市でも、当時の女子師範学校附属国民学校に、同様のすり鉢状の穴が掘ってあったと聞き取りをしたことがあり、各地に作られたのではないでしょうか。
飛行士や飛行機の不足が即、戦闘を左右する戦争となった太平洋戦争。日本は、このような形で挑んでいたのが、1944年の姿でした。
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