歴史を見ないことにするため、追悼碑を破壊するところまでやってきた。次は何をやらかすか。
記録するということは、その時点の事実を後世に伝える意味があります。
記録したいことがあるので、記録する。それは過去のことも現在のことも同じです。あらゆるところに記録が残れば、必ず誰かの眼につき、考えるきっかけになるでしょう。
2024年1月30日付の信濃毎日新聞の記事と、2月1日の各新聞社の報道を合わせてみますと、2004年に群馬県議会も全会一致で旧陸軍岩鼻火薬製造所の跡地に設けられた高崎市の県立公園「群馬の森」への設置を認めた戦時下の朝鮮人労働者の追悼碑を、群馬県が2024年1月29日より2月11日までの工期で撤去する工事を開始。1月31日には、追悼碑はがれきの山になっていました。設置当時の団体の後継団体に対し、撤去費用約3000万円を請求する予定とのことです。
撤去工事の期間中は公園への立ち入りが禁止され、報道各社は上空から工事の様子を撮影しました。また、工事前日には警察を大量動員して追悼碑を訪れる人を威圧する行為に出ていました。
追悼碑の設置は「政治的行事を行わない」という条件付きの設置でした。追悼式で、出席者が「強制連行の事実を訴え、正しい歴史認識を持てるようにしたい」と発言したことなどを理由に、群馬県が2014年、設置許可を更新しなかったと。そして裁判で団体側は敗訴しましたが、判決では追悼碑の撤去までは求めていなかったということですが、群馬県側は、表向きには事務的に撤去に至りました。
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追悼碑は、ただ戦時中に日本で亡くなった朝鮮人労働者に哀悼の意を表し、今後の友好を願うというだけのものでした。しかも、公園内で別に何の支障にもなっていないのに代執行で撤去(差し止め裁判の期日前に)しました。
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何を焦っているのか。
追悼碑に思いを込めた先人(県議会を含め)のことは考えないのか。
これは、勢いなんだなと中の人は見ています。
東京都の小池都知事も、関東大震災時の朝鮮人虐殺者の慰霊行事への弔辞を送らなくなりました。
入国管理局では、世間の眼が届かないことを良いことに、暴行や放置といった生殺与奪の権限をにぎったかのようなふるまいが行われていると指摘されています。
警察官は、外見で白人を除く外国人への職務質問を(不審な点があろうとなかろうと)行う。
そしてインターネットの世界では、人種差別、日本人の純潔を求めて、日本人に従い従えないものは出ていけ、帰化しても外国人だ、外国人は犯罪者が多いーといった、排外的意見が大手を振っており、それを先導する政治家や有象無象がいる。そして矛先は障碍者、高齢者らにも容赦なくふりそそがれる。国民皆保険廃止までいい始める。
「他者に思いをいたすこと」が、これほど荒廃してきた世の中だからこそ、追悼碑撤去まではーと諫言できる人も出てこなかったのでしょう。
これらが一塊になって押していく先に広がる光景は、何でしょうか。できうる限り、見つめ、記録していきたい。
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