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また保存しておかねばならない新聞が増えたが、自衛隊だけの問題ではなく、この国の中枢の隠蔽体質こそ問題

 残念なことである。またとっておかねばならない新聞が増えた。2024年7月13日の信濃毎日新聞朝刊に、防衛省が特定秘密の漏洩などで「218人一斉処分」したとの記事と解説が掲載される。一番対象者が多かったのは「特定秘密の不適切運用」で115人に上る。
 
 「特定秘密」は、もう忘れた人も多いだろうが、指定されると、何が秘密になったのか、が誰にも知らされず(何しろ秘密だから)、知ろうとすると規制され、国民に知らされないことで特定秘密の検証が難しいことが問題になっていた。自衛隊と米軍が一体化する中で、関連の特定秘密が増える傾向にもあるようだ。そんな国民に知らされない「重要」とした情報の扱いがずさんときては、主権者たる国民としては「その程度の特定秘密なら公開しろ」と言いたくなる。

見たくない見出しである

 そのほか、潜水手当不正受給、不正飲食、幹部のパワハラなどが上がっている。紙面の解説では、海上自衛隊は艦艇勤務が厳しいから、大目に見られていたという話も出てくる。確かに、ストレスや閉じた人間関係という勤務の特殊性は理解できる。ただ、その労に報いるなら、そのような制度をしっかりつくるべきで、慣習で違法なやり方を続けていたというのでは国民の理解を得られないだろう。

 逆に、苦しい内情を何とか改善するための予算であるというならば、広く理解が得られるだろう。なのに1200億円の予算使い残しがあったというのも最近報道されていたから、一線の自衛官のことは後回しになっている感がある。特定企業との癒着ー接待疑惑ーも調べられているが、こうした誘惑も、一線や幹部の「人」に対する投資が、おのずと防波堤になるはずだ。正面装備のローン地獄が、いろんな面で「人」に軋轢を生んでいないか。

 記事によると、更迭される海上幕僚長は「順法精神の欠如に加え、不正を見て見ぬふりをするような組織文化に問題がある」と述べている。その点の改善の取り組みがまだ不足していたとしており、引き続き改善を図ってほしい。それは、将来の自衛隊のためでもあるはずだ。
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 ところで、そのような「組織文化」は、果たして自衛隊だけであろうか。同日の信濃毎日新聞のコラム「斜面」は、今月4日、海上自衛隊の護衛艦が中国領海を一時航行した事例を取り上げている。これが明らかになったのは、11日の朝刊においてだ。しかも発表ではなく取材活動によるものだ。中国外務省へはすぐに意図的でないことを伝え、「技術的なミス」と説明しているのに、政府が日本の国民には説明していなかったことは重大だ。
 コラムでは、尖閣周辺への領海侵入を「大国の驕り」としつつ、日本側の行為は非難の機会を与えるだけと指摘。そして、この件と今回の不祥事とも、自衛隊の上に立つ「文民統制」に関わることを強調。そして、文民統制という点から見れば、国民の代表たる国会議員、内閣関係者らの責任は、自衛隊のそれより重いはずと厳しく指摘している。

コラムの最終段落。「自覚なき政治」という表現が現状を言い当てる。

 いくら自衛隊と米軍の一体化が進んでいるとはいえ、自衛隊は独立国家である日本の実力組織である。時には最高指揮官である首相が体を張ってでも自衛隊を無理な注文から守らねばならないのが、文民統制の神髄ではないか。現場の不祥事で海上自衛隊のトップが更迭されるのに、防衛大臣は居座っていては、もしもの時も現場に責任が押し付けられると言うことを行動で示していると言っても過言ではない。防衛大臣も監督不行き届きで同じかより重い責任の取り方を示さねば、自衛隊と政治家ー文民の間での信頼関係は築けない。より責任があるからこその、文民統制ではないか。
 一方、防衛大臣に重要な情報が通らない状態であったとすれば、責任は下がるのか。断じて否であろう。「知らなかった」で済まされる地位ではないという「自覚がない」とされても仕方がない。そのような状態を放置して、統制をないがしろにした「重大な責任」からは逃れられない。文民統制とは、実力組織をしっかり管理し、時に守り、時に指導をすること。その繰り返しで、互いの風通しが良くなり、国民の理解も深まるはずだし、注文も出せるようになる。
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 今回の特定秘密の扱いのずさんさを考える時、政府中枢や自治体だけで情報を囲い込んでしまおうという動きが続いていることに気付く。例えば東京都は、プロジェクションマッピングの関係書類の開示に、ほとんど黒塗りとしたと聞く。桜を見る会の参加者名簿が、野党の要求があったころにシュレッダーにかけられたという話も出来過ぎである。「お答えを控えさせていただく」という逃げ口上は、首相から官房長官、そしてついには官僚まで口にするようになった。丁寧な説明とは、丁寧に逃げ口上を言うことなのか。「寄らしむべし、知らしむべし」の政治は、国民の政治への無関心を広げる。同時に、そのような答弁をさまざまな局面で許し続けるマスコミの責任も重大である。いい気にさせてはいけないだろう。

 犬養毅首相が虐殺された5・15事件当時、基本的に政党は自分たちの選挙のために金を出してくれる人の方を向き、自分たちの勢力拡大にかまけていた。5・15事件のテロは許されるものではないのに、公判では軍人が英雄視されて減刑運動も起こるほどだった。それほど政党は臣民に信頼されていなかった。
 国民の支えがない政治ほど、無力なものはない。自衛隊を統制できない政治がこのまま続けば、どうなるか。少しは歴史をながめてみてほしいものだ。

 

 

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