信州戦争資料センターの生い立ち
「信州戦争資料センター」と名乗ってはいますが、残念ながら展示施設はありませんし、事務所があるわけでもなく、ただ「戦争を回避し続ける」という一点で集まった長野県の有志数人がいるだけです。ただ、名称だけは分かりやすく、将来、何かの奇跡で「施設」「団体」ができる時に使えたらいいなと、2015年の初めての展示会に合わせて付けました。気の合った有志で「今年は何をしようか」と相談しながら手弁当の活動を続けています。
あれは、代表がたまたま戦時下を知る方と雑談しつつ、戦争体験を聞けるのも、あとどれぐらいだろうか、とぼんやり思っていたころ、ある「モノ」との出合いがありました。戦時下の小学生用の「木銃」でした。
木銃は兵隊がライフルの先に銃剣を付けて敵と格闘する「銃剣術」で使うもので、木銃も普通は軍隊や、せいぜい当時の中等学校で使ったくらいです。
ところが、見つけた「木銃」は普通の木銃を先端から何十センチかを切り落としてある短いもので、学校名の焼き印も入っており、先端近くには、教師が「これくらいかな」と相談しつつ作業したかのような切り跡も残っていました。200円という格安で入手したときは、珍しいものだなと感じてはいたものの、同じ時に購入した戦時下のパン焼き機を自称する怪しげな品のほうに興味を惹かれていました。が、自宅で息子に「木銃」を担がせたら、ちょうどぴったりで「この子らに、再びこんな体験を強制するような時代を来させてはいけない」と強烈に感じました。2007年のことでした。
これを振り出しに、戦時下実物資料の収集を始めます。戦争を語れる方がいなくなっても「モノ」なら残していけるし、捏造だとも言われない。戦争体験者の減少と歩調を合わせるかのように広まってきた、戦争美化の言説に、ささやかでもくぎを刺したいという思いもありました。そして、身近なことなら多くの方に真剣に考えてもらえ、強く思いに残るだろうと、代表が居住している長野県にちなんだものを中心に、庶民の当時の様子がうかがえるものをと、代表個人の資金による購入や理解者の現物寄付などで集め続け、現在では5000点ほどを収蔵し、まだまだ拡大を続けています。
物言わぬモノたちに語らせられるよう、関連書籍も次々と購入、本棚は資料とともに占領されました。そしてブログや旧ツイッター(現・X)での発信を通じて多くの方に関心を持っていただき、年に一度の展示会には北海道など遠方からもおいでいただけるようになりました。今後、このnoteを通じて、戦時下資料の情報発信とともに、代表が日々の出来事から感じた世の中のことなども含め「戦争回避」のための判断材料を一層広めていければいいと考えています。
特に長い文章を書けるnoteでは、戦時資料の背景を深堀りするほか、逆に普段は取り上げない地味な戦時下の話題、そして現代について代表が感じることなど、さまざまな記事を提供させていただきます。まずはごあいさつまで。今後も長くお付き合いくださるよう、お願いいたします。
ここまで記事を読んでいただき、感謝します。責任を持って、正しい情報の提供を続けていきます。あなた様からサポートをしていただけますと、さらにこの発信を充実し、出版なども継続できます。よろしくお願いいたします。