<戦時下の一品> 川原式防空カバー
防空演習が1928(昭和3)年の大阪を皮切りに各地で行われるようになりますが、いすれも夜間に外に光を漏らさず、敵機から空襲の目標を隠す「灯火管制」が特に重視されました。これを将来の科学力の前には無意味で暗闇で住民が混乱するだけと喝破した信濃毎日新聞主筆桐生悠々が軍部の圧力で退社させられるほど、灯火管制は重要事項とされていました。
そこで電灯に付けるさまざまな灯火管制用の「傘」が作られ販売されましたが、それらが主に紙製で電球の熱を避けて大きめに作られていたのに対し、今回入