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防空演習で戦時体制強化も、空襲被害は壮絶

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1928(昭和3)年に初めての防空演習が行われて以来、人々に戦時体制をいやでも植え付ける狙いから防空演習が頻繁に行われます。が、日本の防空対策は人が待機して消化させるというのが基…
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#焼夷弾

中部軍司令部監修の月刊誌「国民防空」を読む(上)ー空襲の七つ道具とは

 財団法人阪神航空協会内に事務所を置いた国民防空出版協会が、1939(昭和14)年7月から少な…

防空壕と呼ばず「待避所」と強調して臣民に空襲の消火を義務付け、浸透を図っていたの…

 1943(昭和18)年8月4日に政府の情報局が発行した「写真週報・第283号」は、別に発行した「…

空襲からの学校防護はまず「御真影」

 表題写真は、木曽中学校(現・木曽青峰高校)にあった奉安殿です。この中には国から下賜され…

1945年3月10日、3時間の空襲が10万人の命を奪った「東京大空襲」ー覚えておかねばな…

 表題写真は、愛知県内の空襲で米軍の重爆撃機B29から投下されたM69焼夷弾の焼け柄です…