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信州戦争資料センター 中の人の思うこと、やってきたこと

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信州戦争資料センターは戦時体制下にあった日本の姿を、所蔵資料で公開し、見ていただいた方に後はおまかせするのが基本ですが、世の中の動きに黙っていられないときもあります。そんな、通常…
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2023年10月の記事一覧

5年越しの約束を果たせた「牧内兵長回想録」出版

 今夏の信州戦争資料センター展示会にお越し下さった方は、実物をご覧いただいたと思いますが「一兵士が戦場を描いた記憶 牧内兵長回想録」を、展示会に合わせて発刊しました。実は、この本を作ろうと思い立ったのは、回想録が見つかったという新聞記事を見て「誰かに本にしてほしい」から、すぐに「自分が本にすればいい」と思い直してから。2018年1月のことでした。ご遺族と連絡を取り始め、ご理解を得て、まずは保存のために写真を撮影するというところまでは何とか順調に行きました。  しかし、そこか

信州戦争資料センターの原点は、2度の空襲にさらされた父の体験

 わたしの父親は1929(昭和4)年、昭和恐慌の年の生まれです。まさに戦争の時代の中で成長していったのですが、生前、戦争体験は断片的にしか聞いておらず、亡くなるしばらく前になって、やっと自分も興味を持って尋ね、その時代の話を聞くことができました。せっかくの記憶が消えるのは惜しいので、できる限り思い出して書きます。写真は三重県宇治山田市(現・伊勢市)の戦災地図(部分)です。のちに話が出てきますので、しばらくお付き合いを。            ◇  もともと大阪にいた父は、母親

収蔵品の手探りの保全作業

 表題写真は、長野市内で使われた「空襲警報発令中」「警戒警報発令中」の立派な看板です。地元の骨とう品店で文字通り掘り出してもらったもので、善光寺近くの公民館に残っていたとか。映画「この世界の片隅に」の空襲シーンで、やはり「空襲警報発令中」の看板を片手にメガホンで呼び掛ける男性の姿が登場しますが、そこで使われているものとほぼ同じ大きさで、長さ90センチ近く、幅20センチ余り。規格品として全国に配置されたものかもしれません。            ◇  おそらく、作られてから80

根も葉もないことでも繰り返せばーが現代も息づいている情けなさ

 表題写真(全体はこの後に)は、大阪を本拠とした国粋大衆党が1932(昭和7)年2月10日の紀元節に合わせて発行した冊子「大阪朝日新聞は正に国賊だ!」です。(収蔵しているのは、3月1日発行の第7版)  国粋大衆党の名前は出さず「大阪朝日新聞不購読広告掲載禁止連盟」などど名乗っています。 参考までに、このころの朝日新聞は、満州事変の速報合戦を大手紙同士で展開するなど、特別に反戦をうたったりすることなく、戦争を素直に報道し後押ししていた状況です。また、政府や軍部の批判を書こう