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「実はこのブログ、もっと色々書けるんでは?」までの弁明

誰が見ても問題ない話題がないとの言い訳でずっとブログを書いてなかった

 このブログは「己の文才がどこまでなのか、試してみたい」との志から始めた。志てすぐ、何も書かないようになった。私がPCを触っていると必ず、子どもが「おてつだい~」と言いながらパソコンの電源ボタンを押しに来るからやる気を削がれる。
 子どもがPCの電源ボタンを押さなかった時は、YouTubeで好きな動画を見せていた時か、「好きなおやつやお洋服を買おうね~」と子どもに通販サイトの商品を選ばせた時くらい。子どもが選んだトーマスの服は、トーマスたちの顔が微妙にテレビに映ったそれとは違い、マテル社のマークはどこにもついていなかった。そういえば一度、お気に入りの動画を見せてる時に電源ボタンを押されたことがある。
 と冒頭から横道に逸れたが、誰が見ても問題ない話題がないことが長らくブログを書いてなかった最大の理由だ。誰が見ても気分を害さない、取り残された気持ちにならない話題を自分は出せない。
 育児の話題は人を選ぶ上に子どもの許可を得ていない(じゃあパソコンの電源ボタンの件を書くな)。育児関連の記事は一回だけ書いたが、方針が定まってない時期に他にやってる人がいなさそうなライフハックとして書いた。他に誰もやってないならライフハックにすらならないが。
 会社の話は守秘義務違反になる。仕事以外での自己研鑽もほぼしてない。自分の生活のほとんどは育児と会社、せいぜいネットの徘徊か家庭関係の話だ。思い出したかのように読んでる本や漫画、アマプラの動画もたぶん人を選ぶ。人を選ばない話題がない。そしてそんな私にだって読みたくない話題の記事もある。

過去の記事の内容でみんなドン引きしてるのによく言えるね?

 しかし、これまでの記事を思い返せば、ドン引きされることばっかり書いていた気がする。椎名林檎がパクリだとの妄言は火炎瓶を投げられるのによく書いたものだ(椎名林檎が学生運動家よろしく拡声器を使ってたので、石ではなく火炎瓶にしました。)。
 椎名林檎はパクリだと書いた記事には、「フランスの有名な歌手であるミレーヌ・ファルメールのPVを見て天啓を受けた」とも書いたような気がする。ミレーヌ・ファルメールとはどんな歌手かとフランス人に聞けば、「ゴス」「デカダン」との答えが返ってくる。都会のサブカル層相手ならともかく、帰り道にどこに寄ってたかを近所の人が把握している田舎で名前を出してよい歌手ではない(この価値観伝われ)。ミレーヌ・ファルメールが大衆に受け入れられたフランスってなんだろう…。
 そういや、別の記事では下ネタや差別用語までまき散らす小説家であるセリーヌを絶賛した。文学を志す人なら読んでみても勉強になるかもしれないけど閲覧注意な作家。そんなセリーヌが絶賛されるフランスってなんだろう…。
 そしてナボコフについての記事も書いたような気がする。「小説家を心の師として仰ぐなら誰か?」と問われるなら迷わず挙げるナボコフ、彼の作品は令和の人間から見るとどぎつい描写や筋書きも結構ある。作中では結構人が死んでる。主人公の妻が妊娠中に亡くなってしまう短編を、自分自身が妊娠してる最中に読んだ時はどうしようかと思った。人どころか、まれに猫が車にひき殺される話もある。庭園や畑を荒らすので一部のガーデナーや農家には嫌われていても、猫はネットではお猫様と呼ばれる。このような話は神殺しであり、反体制なのではないか。

基準は義両親あるいは夫が許すか許さないかにしようか、それなら書ける

 ここまで書いてしまえば恐ろしいものなんかないのではないか、いや、ある。ぶっちゃけ義両親と夫の目を気にしている。「顔を潰さないか」「迷惑にならないか」と誰かの目を気にすることが家族の始まりではないでしょうか?彼らが許してくれたら記事は公開するし、悲しむなら削除する。その方針で行こうか。
 とはいえ、美術展の感想記事に「すけこまし」なんて下品な言葉をタイトルにしている時点で義両親は泣くと思う(ベルリン国立ベルクグリューン美術館展は面白かったので、おいおい書きたい)。でも義両親も夫もとっても優しいので、スルーしてくれると思う。なお、スルーしてくれることと許してることは違う。
 最後になりましたが、小説の記事に関してはこれから本格的に原稿用紙100枚越えの小説を書いて文学賞に応募し、落選した作品の一部のみを掲載することにします。過去に書いた記事は今後の小説の元ネタにするかもしれないので削除します。未読の皆様、残念ですね。

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