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おやすみなさい

(短編:約5,320文字ー約10分)

おやすみなさい


 ソレはいつの間にか、わたしの部屋にいた。

 ソレの存在に気がついた時には、すでに手のひらサイズになっていた。白くモコモコとしたソレは床の上に落ちていたのだ。最初はホコリだと思って無視していたが、何となく成長しているように見える。

 わたしはソレをなんとなく拾って、テーブルの上のチョコが入っていた箱に入れてみた。

 生きているのか、時々もぞもぞと動く。

 普段は会社に行っているので、日中の様子は分からないが、何となく箱から出ている気配がある。何故なら、箱の位置が微妙に変わっている日があるからだ。

 一週間を過ぎると、チョコの箱が窮屈になってきたようで、箱からはみ出て待っていることが多くなった。

 あまりにもギュウギュウなので、靴の入っていた箱に引っ越しさせた。チョコの箱はすぐに馴染んだのに、靴の箱は気に入らないのか、渋々といった様子だった。
 ノベルティで貰った使わないタオルを箱の中に敷いてみたら、まあこれなら、といった様子で落ち着いた。

 それからしばらくは靴の箱で過ごしてもらったが、どうもまだ成長しているようだ。
 水も食べ物も与えていないのに不思議だなと思いながらも、放置していたら、ついに靴の箱からもはみ出すようになった。

 これ以上大きな箱となると、もう引っ越しの時に使っていた段ボール箱しかない。
 今まで使っていた靴の箱からタオルを取り出し、そちらへ移動させる。しかし段ボール箱は不服なのか、なかなか入らない。
 ちょうど、その時食べていたチョコの包み紙をタオルの下に置いてみる。すると、ピョコンと飛び跳ねて入っていった。
 どうやらチョコの香りが好きなようだ。

 ソレは白くてモフモフしていて、少しパサついているが手触りもそこそこ良い。
 それに重さがほとんど無い。
 顔もあるようだが、モフモフの毛に埋れて、どんな顔をしているのか分からない。一度、顔を見てみようと探してみたが、クルクルと回り始めてしまって、どこが顔か分からなかった。
 嫌がっているのかもしれないと思い、それ以来、顔を探すのはやめた。

 会社から疲弊して帰ると、まずはソレを撫でる。そして寝る前にもベッドに持ってきて、触りながら寝るのが日課になった。
 なぜだかわからないが、そうするとよく眠れる気がするのだ。

 そうして過ごすうちに、もう段ボール箱にも収まらないくらい大きくなってしまった。もうこれ以上大きな箱はないから、仕方なく部屋で適当に過ごしてもらうことにした。
 その頃には、すでに大型犬くらいの大きさになっていた。

 それからも日に日に大きくなっている。ベッドくらいの大きさになった時には、その上で寝そべったりした。しかし、ある朝起きたら、ソレは1Kの部屋の半分くらいの大きさになっていた。

 流石にこれでは、わたしが生活できない。
 もうここに置いておくことは出来ないと思ったが、問題は先送りして、一旦会社に行くことにした。

 仕事でボロボロになって帰ってくると、ソレは相変わらず部屋の半分を占めていた。
 わたしは取り敢えず、廊下からそれに向かってバフっと抱きついてみた。

 うん、悪くない。

 すると、ソレはもぞっと動いた。何だろうと思い、少し離れて見ていると、どうやら顔がある方をこちらに向けているらしい。
 そして、ズルズルと方向転換を終えると、おもむろに

「おかえり」

と、言葉を発した。

 わたしは驚いた。まさか動物だと思っていたものが、日本語を話せるなんて思わなかった。

「え、話せるの?」

 わたしの疑問に、どこか誇らしそうにソレは頷いた。

「うん。あれを使って覚えた」

 そう部屋の中のノートパソコンにチラリと視線を向けたようにみえた。まさか、勝手にそんなものを使われていたなんて知らなくて、わたしはムッとした。

「何、勝手に使ってるのよ」

 ソレは悪びれる様子もなく

「だって意思の疎通ができた方がいいかなーって思って」

そう言って、なかなかの正論をぶつけてきた。

 確かに、会話ができた方が何かと便利だが、勝手にパソコンを使われるのは気分が悪い。

「だからって、人のものを無断で使うのはどうかと思うなぁ」

 頬を膨らませて怒ると、ソレはしおしおと少し縮んだ。それを見て、この事をこれ以上責めたところで不毛だなと話題を変えた。

「キミは一体なんなの?」
「ボクはムネモシュネ。記憶の神だよ」

 おっとり間延びした声でそう答えた。

「神?」

 わたしは不信感いっぱいでソレを見た。
 威厳もなく、チョコの匂いが好きで、一日中のそのそと部屋の中で過ごしているモノが神様とは信じられない。

 ジトっと疑いの眼差しを向けると、ソレはふるふると小さく震えて、しばらく固まった。さらに探るような目で見ていると、ソレは先ほどよりさらに縮んだ(ただ単に下に広がっているだけだが)。

 そして、わたしの頭より低い位置まで縮んだソレは、ゆるゆると波打ってから

「ウソです」

そう一言。

「何で嘘ついたの?」
「かっこいいかなと思って」
「嘘はやめた方がいいよ」
「……はい」

 しょんぼりしたソレは、わたしの部屋の下半分にでろんと広がっているが、そのせいで未だに部屋に入れないでいる。いまだに帰宅時のままなので、まずは着替えを取ってお風呂に入りたい。

「ねえ、この大きさは何とかならないの?」
「それは無理だねー」
「わたし、部屋に入りたいんだけど」
「ちょっと待ってて、縦になるから」
「いや、出来れば部屋を普通に使いたい」
「えー。出て行けってこと?」
「追い出したいわけじゃないけど、大きすぎるんだよね」
「そっかー。じゃあ外で待ってようかな」
「え?」

 ソレはそう言うと、窓を開けてのそのそとベランダへ出ていく。

「ちょ、ちょっと、ここ三階よ!」
「大丈夫。ほら飛べるから」

 よく見るとソレはフワフワと浮いている。
 重さがないとは思っていたが、まさか飛べるとは思わなかった。外で浮いている姿は、部屋の中の締まりのない姿と異なり、何かの動物に似ている。
 何だろう? ほら、あの、鼻が少し長くて、二色にお腹の辺りで分かれてる、あの……。

「バク?」

 そう言うと、ソレはビクッと体を揺らして、コチラを見た。

「え……? 何でバレた?」

 どうやら当たりのようだ。

「いや、体型がバクっぽいなって」
「嘘。色も違うし、もっとシュッとした外見だと思うんだけどなー」

 頭を体の方に向けて、どこが悪かったのかを確認している。その間もずっと宙を浮いている。

「ねえ。もしかして、わたしがその背中に乗っても空飛べる?」
「飛べるよー」

 相変わらず自らの姿を確認しながらも、のんびりした声で答える。

「わたし、一度でいいから空飛んでみたかったの。乗ってみてもいい?」
「もちろん」

 バクはそう言うと、ベランダに大きなモフモフの体を寄せた。わたしは下を見ないように、白色の背中だけに集中して、ベランダを乗り越えて飛び移った。

 背中は広くて、毛をわしゃっと掴むと安定して座れた。周りを見ると、民家の屋根やマンションの灯りなどがよく見える。すると、少し高度を上げていって、さらに見晴らしが良くなった。

「どこ行くー?」
「そうね。じゃあコンビニ。場所はわたしが指示する」
「わかったー」

 そう言うと、フワリと更に上に浮き上がった。
 そして自転車を漕ぐくらいのスピードで発進した。

 コンビニは空から行くと近かった。

 あっという間に到着して、どうやって降りるのかなと思っていたら、バクは駐車スペースにゆっくりと降り立った。

 コンビニの前でタバコを吸っていた若者が、ギョッとしてこちらを見ている。

 てっきりバクの存在は見えないものだと思っていたので、焦ってバクに聞いてみた。

「もしかして、キミは他の人に見えるの?」

 誇らしげに駐車スペースにふせをしているバクは、不思議そうに答える。

「もちろんだよー。だって見えないと乗れないでしょ」
「確かにそっか」

 それだと、今こちらをスマホで撮影しているアレはまずいんじゃないだろうか。

「ちなみに写真にも写る?」
「それは分からないなぁ」
「色んな人にキミの姿が拡散されちゃうんだけど、それってまずいよね?」
「そうなの? 有名になるって良いことじゃないの?」
「捕まって実験動物にされちゃうかもよ」
「それはなんだか痛そうでヤダなぁ」

 バクの白い毛並みがザワザワした。

「じゃあバレる前にお家に戻るね」
「うん。それがいいよ。わたしは少し買い物してから帰るから、先に部屋に入ってて」
「はーい」

 そう言うとフワリと浮いて飛んでいった。

 あんぐりと口を開けて見ていた若者が、こちらにやってきた。

「アレって何ですか?」
「わたしもよく分からないんです。でも、できればさっき撮ってた写真は拡散しないで欲しいなぁ」
「それはちょっとムリかも……」

 すでに投稿してしまったようだ。

「ちょっと投稿した写真見せて」

 そう言って投稿画面を見せてもらうと、そこにはバクの姿は写っておらず、ただ駐車場の白線と明るい店内のコンビニ、そして靴を履いていないわたしの後ろ姿だけが写っていた。

 どうやら見えるけど写らないようだ。

「あれー? おかしいなぁ。ちゃんと撮れてたはずなのに……」

 若者はスマホのライブラリの写真も確認して首をひねっていた。

 どういう理屈か分からないが、とりあえず写ってないならいいやと、その場を後にした。

***

 部屋に戻ると、また部屋の半分を埋めたバクが鼻をヒクヒクさせて、こちらを見た。

「もしかしてチョコ?」
「うん。なんか疲れたから食べようと思ってさ」
「いいなー」
「でも食べれないんでしょ?」
「うん」
「じゃあ、また空き箱あげるよ」
「やったー」

 チョコをつまみながら、わたしはバクの居場所をどうしようかなと考えた。

「キミって、前みたいに小さくならないの?」
「どれくらい?」
「うーん。これくらいかなぁ」

 そう言って、ラブラドールくらいの大きさを腕を広げて示してみた。

「できなくないとは思うけど、そんなにダイエットできるかなぁ?」
「ダイエット?」

 話を聞いて驚いたが、なんとバクはわたしの夢を食べていたらしい。
 しかも悪夢が好物だという。

 最近よく眠れる理由はそれかー、と納得してしまった。

 しかし、悪夢はだいたい仕事に追われる夢だ。
 今いる職場は、毎日怒号が飛び交い、あらゆるハラスメントの宝庫で、離職率五十パーセントを余裕で超えるアレな会社だ。

 悪夢のようなあの職場にいる以上は、悪夢を見続けるだろうなぁ。

 よし、いい機会だ。

「わかった。退職届出してくる」
「仕事辞めるってこと? そんな簡単に決めちゃっていいの?」
「いいの、いいの。だっていつでも辞められるように、私物置かないようにしてたし」
「それはよく分からないけど、悪夢が減るならいいんじゃない」
「それは確実に保証できる」

 そうしてわたしは翌日に退職の意思を伝えた。
 上司や同僚から必死の形相で引き留めにあったけど、当初の予定通りに一ヶ月後に退職した。

 今までの職場が酷すぎたので、新たな職場は天国だった。
 あまりにもノンストレスだったので、バクが小さくなりすぎた。

「今夜はアレ観るの?」
「だって仕方ないじゃない」

 退職して無職になり、転職活動、そして新たな職場へという、不安定な生活で悪夢を見ると覚悟していた。
 しかし、予想に反してバクは新生活が安定するまでにダイエットに成功していた。

 なんなら成功しすぎて、ハムスターくらいの大きさに縮んでしまったのだ。
 どうやら前職があまりにも壮絶すぎて、多少のことでは揺らがない神経になってしまったようだ。

 バクは、「アレ、微妙なんだよねー」と言いながら、最近の定位置であるテーブルの上のお菓子の空き箱から、少しだけ顔を出した。

 これ以上小さくなると見失いそうだから、そろそろ悪夢を見なければならない。

「別にキミが観る必要はないんだよ」
「そうなんだけど、怖いもの見たさ?ってやつかな」
 
 わたしは寝る準備万端にして、薄暗くした部屋の中でホラー映画を再生した。

 悪夢が好物なのにホラーが怖いとは、一体どういう了見なんだ。

「悪夢が好物なんでしょ?」
「いやー、好きだけどねー。あれってジャンキーだから体には良くないんだよ」
「どゆこと?」
「ほら、人間も美味しいものは脂肪と糖でできてるっていうでしょ?」
「何見てそんな言葉覚えるのよ」
「まあまあ。つまり、美味しいけど太りやすいから、控えめにしたいってやつだよー」

 つまり最近は良質な夢を食べているから痩せているということか。確かに以前はパサパサだった毛並みが艶々している。

 ここまで顕著に成果が出ると面白い。

 それを言うと、「食べるものを選べないんだから、面白くもなんともないよ」と口を尖らせて言った(もともと口は尖っているから雰囲気だが)。

 映画は評判通りの怖さで、観終わった後に身体の芯まで冷えたような仄暗い気持ちになった。

 これで眠れば、きっといい悪夢が見られるだろう。
 そう思ってふふっと笑った。
 
「どうしたのー?」

 そろそろ寝ることを察知して、ベッドに先回りしていたバクが間の伸びた声で聞いてきた。

「なんでもない。じゃあ、おやすみなさい」

 わたしは布団に潜り込んで、枕に頭を沈めた。
 すると、白いフワフワの塊が頬に寄ってきた。
 ほんのりと温かいその存在に、くすぐったさを感じながら、わたしは多幸感に浸る。

 この幸せが一日でも長く続くと良いな。

 いい悪夢が見られますように。


 了


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