見出し画像

映画「ラジオ下神白」を、やっと

ラジオ下神白、やっと観ることができた。
関西ではなかなか観ることができなかったので、上映の企画をしてくださった龍谷大学の学生のみなさんに感謝しています。

昨年8月、福島県いわき市で小松理虔さんのイベントに参加した。映画の出演者でもあり運営の1人だった江尻浩二郎さんと、現在も下神白団地に住まわれている方との出会いがきっかけでずっと観たかった映画だ。ここで出会った人がみんな、とんでもなく魅力的で泣けるほど好きになったし、福島が大好きになった。

江尻さんは言っていた。大熊町、富岡町、双葉町、浪江町の特色ある4つの地域からポンといっしょくたにされて住むことになった人たちが、生きていくためのコミュニティを新たに作ることはとても難しいことであると。
(原子力による複合災害により、国からの賠償金の違い等含めて複雑で特有の葛藤があるそうだ)

この4つの地域には「帰還困難地域」と言って、今も戻れないところがある。そのため、しばらく戻れないと判断され終の棲み処として建てられたのが県営の下神白団地だという。
コミュニティ形成を促進したいと始まったのがラジオ下神白。住民のみなさんの思い出の曲をエピソードとともに書いてもらい、団地の前の黄色のポストに入れてもらう。DJが曲とともにエピソードを紹介し録音したCD-Rを各部屋に届けるという流れだ。そこからカラオケが始まり、全国の有志で集まった人たちによるバンドの生演奏とともに、住民の方々が歌うイベントも催された。歌声や演奏とともに、下神白団地の住民の「その人の人生を聴くこと」が記録されている映画だ。

企画のアサダさんが言っていた。目の前のその人は「被災者」だけでなく、「被災以前」のその人も、その人である。その人を被災者というフィルターだけでは見ないようにしたい、という思いがあったと。

みよ子さんの歌声と手の震えは、なぜか泣けてしまうし、歌い終わった後の表情でこちらも笑顔になってしまう。みよ子さんの人生の一部にお邪魔させてもらい、感謝の気持ちが湧いた。
避難所が6か所も変更し下神白団地に落ち着いたキヨシさんは、会津にある施設に入居することになり寂しそうだった。若い時にブラジルまで働きに出て、ブラジル人の彼女がいたことを話していたキヨシさん、かっこよかった。眉毛が、ご立派だった。

同じ楽曲でも、受け取る人によって想い出は違う。音楽は聴き手の数だけ何通りにもなるし、同じ人でもその想いは変遷もするし濃淡もあるし、果てしない、それも感じる映画だった。

復興とはなんだろうか、町は残っているのに、その町に戻れないってなんだろうか。東北、特に福島を思うと、いつもそこに想いが巡る。

理虔さんが本に書いていた。福島は複合災害の複雑さ、国からの莫大なお金の支援によって、考えることができなくなっていた時期がある、と。

江尻さんは、小さい頃に原子力事故が起きた時を想定して避難訓練をしていたそうだ。風を読み、逃げる方向を決めていたことを教えてくれた。私はそんな避難訓練をしたことがないし、想像したこともなかった。

でも私は、福島で、原子力で作られた電気を巡り巡って享受していたはずだと思う。
だから福島の人災である原子力事故は私にも加害性があると思っているし、広島の原子力爆弾の被災者という被害性もある。その間で揺れて悩みながら考えたい。私も今生きている人たちも、全員この世界からいなくなっても、原子力の課題は何万年も続く。

無力だけれど、知ること、学ぶこと、聴くこと、想像することを絶やさないようにしたい。
無力だからと、考えを放棄することを止めたい。
 

新復興論とigoku本

▶新復興論:小松理虔さん
震災だけではなく当事者と言った瞬間に、「当事者」「非当事者」という分断が生まれる。(それが必要という前提も、もちろんある。)
ゆるやかに関わり合う「共事者」という人たちを増やしていくことが必要なのではないかという提案をしている本。ちなみに増補前の帯はアジカンのゴッチが書いていた・・・!
前回参加できなかった福島やいわきの歴史を聞きながら被災地をツアーする、理虔さんの「ロッコクツアー」に行きたい。
 
▶igoku本 ※いごく:いわき弁で「動く」の意味。
理虔さんや江尻さんの「igoku」が作ったいわきの地域包括システムに関しての本。
巻末の江尻さんの「ここにはなにもない」を先に読むといいよ、と長崎の五島列島のお父さんに言われたのでそこから読んだ。
【一見なんの変哲もない景色の中に押し潰されそうなほどの情報量を感じた時、人はみな自ずと謙虚な気持ちになるのではないでしょうか。私はそれを、とても大切なことだと思っているのです。】
 

igokuフリーペーパー。編集やコーナーがおもしろい!

▶igokuのフリーペーパー
地域包括のフリーペーパーとは思えないデザインでグッドデザイン賞も受賞、以下コメント。
【イベントに参加した高齢者がありったけに破顔している様子がとても強く記憶に残り、羨ましくさえ感じた。挑戦的な企画の作り方、制作物の完成度の高さ、多世代への影響力の大きさなど総合的に高い評価となった。また、行政が主体となって進めている点にも心から拍手を送りたい。】
※猪狩さんという市の職員さんが、ものすごい人らしい。今度は絶対に会えますように。
 

南相馬の海岸から内陸を見た景色。津波で町がなくなり、今はたくさんの木が植えられている。

みんな元気かなぁ。また福島のおいしいお魚を食べて、福島のカツオは一本釣りじゃないから雑なカツオだとかいう話を聞いたり、福島の酒造の人たちの話とか、震災前と後の話とか、泣いたり怒ったり、笑ったりしながらいろんな話がしたいなぁ。
そんな風に、私は福島に想いを乗せていたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?