特別な存在になりたかった私へ
ずっと特別にならなきゃとどこかで思っていた
snsで有名にならなきゃ
リールの再生数を増やさなきゃ
自分で稼げるようにならなきゃ
自分一人で生きる力をつけなきゃ
全部自分でしなきゃ
いつしか好きという純粋な気持ちで始めた写真が、誰かのウケを狙っていたりする瞬間に自分自身が気づいたりして、インスタを想定して撮るなんてことを考えたりしてこうやって「個性」というか個性になれたはずの自分のカケラが死んでしまうのだろうか
なんてのを風呂上がりにぼーっと考えては、同世代のいわゆる凄そうな人たちに肩を並べなくてはと焦り、やはりsnsを頑張ろうと思うものの、結局自分は表情、雰囲気、身振り手振りのストレートなコミュニケーションが好きだし、機械的な文字よりも人が書いた体温の歩き字が好きなのだ
んー
snsを頑張ろうと思うたびに頑張りきれない自分がいてどうしたもんかと思うけども
そんなこと当たり前でオンライン飲み会がもう廃れてるのと同様に結局私は馴染んだ人との、時を重ねて色々と知った人との時間が一番好きらしい
誰しもそうか
とかく人はいわゆる特別に形容されるような人間にならずとも、自分のよさを知る人からは、自分が自然体でいられる場所では最高な存在なのだ
そういうわけで自分の写真で世界が綺麗だと知って欲しい、だからみんなに見てほしい、バズってほしいと思っていた自分は表面的なものしか見てなかった、見えなかったsnsの世界で何人ものフォロワーを抱える同世代、フォトグラファーの数という名の魔物に無意識のうちに自分の中にとっかかりを作っていたようだ
その人の写真を見る前に数を見てしまっていい写真がなんだかわからなくなって、その人が羨ましいなって自分はまだまだと卑下するような一番やってはいけないことをしていた
そして自分も何者かにならなくてはと焦っていた
何者であったかなどその人が死んでからわかるかわからないかぐらいのことなんだ
最近会った写真をしてる友達が口にした
「フォロワー数を見ただけでいい写真ですね」と言ってくる人もいるんだ。どこがいいかもわかろうとせずに、だからお前はそのまま自分の表現を追えと
その言葉がなるほどと腑に落ちた
自分が同じことをしていたからだ
自分が書いたこと、これから書くことも綺麗事だと重々にわかった上でこれ以上自分自身が死なないために、明日また羨望の感情に襲われた時に見返すために残しておこう
数なんて見るんじゃないと言いたいがそれは見て、見えてしまうものだ、気にするなという方がおかしい
しかし、知らんやつの知らんプロフィールで知らぬ間にダメージ食らってる自分てどうよ?
それよりも写真じゃなくてもいいんだ
あの飯屋気になるなってのが有れば行くんだ
あの温泉行きたいと思ったら行くんだ
あの人に会いたいと思ったら会いに行くんだ
羨ましいと思って当然だ
だって俺とその人全く違う人生歩んでるんだから
そんなの羨ましいと思うもんでしょ
逆に言ったら俺のことを羨ましいと思ってる人だっているんだ
ゴールのない追いかけっこはやめよう
みんな自分の正義振りかざしてるのよ
でもあの人の正義が正しいと言われてるからそうしようなんぞもったいない
とりあえず飯食って幸せになってから色々考えよう
「特別」にならなくても
笑える場所があるんじゃない?
あいつらはフォロワーの多い少ないでつるんでいるのか?
違うんだ
色々知って体当たりして傷ついてやっとわかるその人の魅力に触れたから一緒にいるんじゃないか
一緒に飯食ったり、ダラダラしたり、なんともない話で盛り上がったりそういう瞬間をたくさん作ろう
もう充分に特別な存在になってんだよ俺もあなたも
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